最勝院
最勝院(さいしょういん)は、青森県弘前市銅屋町にある真言宗智山派の寺院。 境内には重要文化財に指定されているものとしては日本最北となる五重塔を有する。
概要
弘前ねぷたまつりで知られる弘前市に於いて禅林街と新寺町に46寺院が建ち並ぶ中での古刹で「金剛山・光明寺最勝院」と言い市民からは五重塔の寺として親しまれている。
明治時代の神仏分離令まで最勝院は現在地より北に3キロほど離れた田町に有り12ヶ寺の塔頭寺院を従えていたが最勝院以外は廃寺となった、最勝院は廃寺となった寺院の檀家衆を引き受けて現在地(旧大円寺跡)に寺格を移転した。
院名の由来は護国三部経の一典で密教色の強い「金光明最勝王経」から命名されている。
当院には五智如来をはじめ文殊菩薩・聖天(歓喜天)・薬師如来・本尊の猫突不動明王などが置かれているが、五智如来はひなびた雰囲気を持つ五智如来堂に安置されており、末寺であった普光寺の本尊を移設した尊像で教王護国寺に代表される如来形とは異なり立像で印形に於いても変化があるが五佛が揃う寺院は●教王護国寺 ●安祥寺(京都山科)●大日寺(奈良県吉野郡)●金剛三昧院(和歌山)●遍明院(岡山)に存在するが当寺の五智如来は姿形が異なる、また「五智山普光寺廃虚に付本寺境内に建立 奉再建五智如来堂一宇 連光山大圓寺二十一世上人朝宗欽言 維弘化三丙午年(一八四六)五月吉祥日」棟札が残る。
伽藍
伽藍は本堂・五重塔・如意輪観音堂(六角堂)・五智如来堂・護摩堂・聖徳太子堂・薬師堂・庚申堂・鐘楼などで構成されている。
五重塔
1667年建立で梁間・桁行3間、総高31、2mの構造で、国の重要文化財指定の塔で本州最北端に位置しており古式を残すが心柱は初層天井から上部にあり江戸時代の様式を持つバランスの優れた美しい塔で特に六角堂付近から俯瞰したプロポーションが素晴らしい。
六角堂
境内東端に小規模な六角形の如意輪観音堂があり通常は六角堂と呼ばれている、本尊が如意輪観世音菩薩であった為に正式名称は「如意輪観世音菩薩堂」と言い建立は江戸時代で弘前市の豪商一野屋により当時の大円寺境内に寄進された。 近年この六角堂の老朽化が激しくなり、軸組部分の傾きに加え内部の損傷や剥落も進み大規模な修復の必要に迫られた、更に六角堂は本尊不在の時期が続いた為に、新しく本尊の寄進者が現れたこともあり、堂宇の修復と本尊の像造が決定された。
現在六角堂は大規模な修復作業が行われており2007年には大津市・勢山社の大佛師・渡邊勢山氏による如意輪観音が安置される事になっている、また堂内の壁画は弘前市出身の宗教画家で佛師でもある渡邊載方氏と勢山社グループによる作品が設置される。
当寺の所属する真言宗に於いて如意輪観音は重要な菩薩で伝法灌頂(阿闍梨)を受ける修行者が最初に出会う菩薩である、この修行は俗界と離れた厳しい修行で「四度加行」(しどけぎょう)と言い四段階がある 1、十八道法 2、金剛界法 3、胎蔵界法 4、不動護摩法の修法を言う、四度加行の前行として行われる礼拝行の本尊が如意輪観音である。
所在地
青森県弘前市大字銅屋町63
文化財
- 重要文化財
- 五重塔:三間 H31,2m 銅版葺き 江戸時代
- 神社微細社司由緒調書上帳
注釈
護国三部経
護国三部経とは 「法華経」・「金光明最勝王経」・「仁王般若経」を言い、特に金光明経は鎮護国家に対する思想を強調したもので陳の文帝が取り入れたとされる、日本に於いては天武天皇・光明皇后(光明子)が律令制国家建設の為に仁王般若経と共に重要視したと思はれる。 仁王般若経 とは正式名称を「仁王護国般若波羅密経」といい、不空と鳩摩羅什の訳があるとされる、国の安泰・隆昌を佛教的に説く教典であるが中国に於いて作られた経典の可能性が高い、七福神信仰の嚆矢と言える経典で「七難さって七福来る」が記述される。
五智如来
五智とは金剛界曼荼羅の中に画かれている五如来で下記の智慧を著したものである。
- 大日如来:法界体性智(ほっかいたしょうち)宇宙の真理を現す知慧
- 阿閦如来:大円鏡智(だいえんきょうち) 森羅万象を鏡す知慧
- 宝生如来:平等性智(びょうどうしょうち) あらゆる機会平等の知慧
- 無量寿如来:妙観察智(みょうかんさつち)正しい観察の知慧(阿弥陀如来)
- 不空成就如来:成所作智(じょうしょさち) 必要な事を行う知恵
阿闍梨
阿闍梨(あじゃり)とは阿舎梨・阿闍梨耶とも書き、梵語アーチャリーの音訳で、意訳をすれば師・規範となる、教団の高位の指導者を指し弘法大師・空海も唐に於いて師の阿闍梨恵果より伝法阿闍梨位灌頂を受けている。 阿闍梨の種類は特に選ばれた大阿闍梨、法を指導する教授阿闍梨、灌頂を受けた伝法阿闍梨、高貴な身分の者がなる一身阿闍梨、勅命による七高山阿闍梨などが在る。