曾鞏
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曾鞏(そう・きょう、1019年-1083年)は中国・北宋の散文家。字は子固、諡は文定。
略伝
江西省南豊県の出身。6歳の時に『六論』を書いたという。1057年に欧陽修が主催する科挙の試験に、蘇軾・蘇轍の兄弟とともに合格し、以後の文風を一新させたことで有名。王安石とは共に欧陽脩の門下として、終生親しく交友し、弟の曾布は新法党の有力な一員であったが、、彼自身は新法に対して批判的だった。地味な人柄も手伝って官界ではあまり出世できず、その散文も華麗さには欠けるが、堅実な議論の展開が特徴で、清の桐城派の古文家・姚鼐は「曾公は能くその短とするところを避けて犯さず」と評している。唐宋八大家の一人で、序跋や雑記の類で優れているものが多く、古代の典籍の整理校勘に従事した中央図書館在勤時代の作、『戦国策目録の序』が有名。詩文集に『元豊類藁』50巻・『続元豊類藁』40巻・『隆平集』30巻がある。