スーパークリーク
スーパークリーク | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1985年5月27日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | ノーアテンション |
母 | ナイスデイ |
母の父 | インターメゾ |
生国 | 日本(北海道門別町) |
生産者 | 柏台牧場 |
馬主 | 木倉誠 |
調教師 | 伊藤修司(栗東) |
厩務員 | 末宗靖雄 |
競走成績 | |
生涯成績 | 16戦8勝 |
獲得賞金 | 5億6253万5200円 |
スーパークリークは日本の元競走馬で種牡馬である。主な勝ち鞍は天皇賞2回(秋・春の連覇)、菊花賞等。昭和末期に巻き起こった競馬ブームにおいて、オグリキャップ、イナリワンとともに「平成三強」と呼ばれて名勝負を繰り広げた。
また、武豊騎手がデビュー2年目で初のクラシック制覇そしてGI制覇を達成した馬としても有名である。
戦績
3歳の夏に函館でデビューするため、函館競馬場に入るもひどい下痢をしたことから、12月の阪神開催までデビューは遅れることになった[1]。 武豊騎手とのコンビの印象が強いが、コンビを組んだのは5戦目から。田原成貴・南井克巳両騎手が最初は乗っていた。南井鞍上で出走したきさらぎ賞が初重賞挑戦になる(3着)だが、このときの1着馬、マイネルフリッセが、後にこの馬に大きく関わってくる。
日本ダービーを目指していたが、脚部不安により断念。菊花賞を目指すことになる。そのためにはトライアルで優先出走権を確保する必要があった。しかし神戸新聞杯は3着、京都新聞杯は6着。当時は京都新聞杯がトライアルレース(5着以内に優先出走権付与)で神戸新聞杯はステップレースでしかなかった為(3着は優先出走権無し)、菊花賞への道が危ぶまれた。
しかし、武豊の「スーパークリーク以外の馬に乗るつもりはない」という発言を聞いて、動いたのがサラブレッドクラブ・ラフィアンの岡田繁幸だった。きさらぎ賞の勝ち馬マイネルフリッセも武豊のお手馬であり、スーパークリークの配合を考えたのもほかならぬ岡田であったこともあり、マイネルフリッセを菊花賞の登録から辞退した(この件で、岡田とマイネルフリッセを管理する中村均との関係が一時悪化した。現在は修復)[2] 。さらに辞退する馬(ハードバージの忘れ形見であるセンシュオーカン)が1頭増えたことで、抽選をせずに菊花賞本番に出走することができた。そして、見事に勝利する。なおこのときの2着馬が、もう1頭の抽選の候補であり、同じように滑り込んだガクエンツービートだった。
菊花賞を勝って有力馬の一頭として挑んだ第33回有馬記念では、オグリキャップ・タマモクロスの3着に食い込むものの、直線で斜行したとして失格となる。その後、再び不安が出たため秋までターフには戻ってこなかった。
京都大賞典を快勝して臨んだ秋の第100回天皇賞では、オグリキャップとの叩き合いをクビ差制し、2つ目の栄冠を手に入れる。しかし第9回ジャパンカップでは世界レコードの前に4着、第34回有馬記念ではイナリワンの大駆けに屈し2着と敗れる。そのため、年度代表馬はイナリワンのものになる。
5歳になり、大阪杯を楽勝すると、春の天皇賞でもイナリワンを抑えこみ、史上初の天皇賞秋春連覇を達成した。(春秋連覇はタマモクロスが達成していた)また武豊は春→秋→春の3連覇を達成、天皇賞春4連覇の2勝目も達成した。 その後第31回宝塚記念前にまたしても脚部不安に見舞われ、世界に挑戦という声も消えた。京都大賞典から復帰し、同レースをグレード制導入以後は初となる連覇で勝利するも、すぐに引退を表明する。
引退後
種牡馬入りするも、ステイヤー血統で自己のスピード能力を伝えることができなかったことや、サンデーサイレンスと産駒デビュー年が重なったこともあり、ハダシノメガミ(スイートピーステークス2着)や、ハギノハンター(中央準オープン勝利)を輩出する程度に留まり、良績を残せなかった。しかし母の父としては、2006年の阪急杯を勝ったブルーショットガンを出し、初めて重賞勝ち馬の血統表にスーパークリークの名前が載った。
特徴
当時としても珍しい長距離血統であるが、これは生産牧場の方針である「天皇賞・春や菊花賞を意識した馬作り」を基に配合されたからである[1]。
また、陣営が長距離に狙いを定めて出走させため、出走したレースが全て2000m以上と言うのもGIホースとしては珍しい記録である[1][3]
生まれつき左の前脚が外向(脚が外側を向いていること)しており、また頭が大きく外見は良くなかった。
血統表
スーパークリークの血統ニジンスキー系(ノーザンダンサー系)/Hyperion4×5=9.38%、Nasrullah5×5=6.25% | (血統表の出典) | |||
父 *ノーアテンション No Attention 1978 鹿毛 |
父の父 Green Dancer1972 鹿毛 |
Nijinsky | Northern Dancer | |
Flaming Page | ||||
Green Valley | Val de Loir | |||
Sly Pola | ||||
父の母 No No Nanette1973 芦毛 |
Sovereign Path | Grey Sovereign | ||
Mountain Path | ||||
Nuclea | Orsini | |||
Nixe | ||||
母 ナイスデイ 1979 鹿毛 |
*インターメゾ Intermezzo 1966 黒鹿毛 |
Hornbeam | Hyperion | |
Thicket | ||||
Plaza | Persian Gulf | |||
Wild Success | ||||
母の母 サチノヒメ1957 黒鹿毛 |
Sayajirao | Nearco | ||
Rosy Legend | ||||
*セントマキシム Sainte Maxime |
Rockefella | |||
Sou'wester F-No.1-l |
出展
- ^ a b c 「優駿」(日本中央競馬協会)2006年8月号
- ^ なお、マイネルフリッセは菊花賞を回避後福島記念に出走するも惨敗、4歳以降は障害レースに出走した。
- ^ 他にディープインパクト等もいる。
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