ライスシャワー
ライスシャワー | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1989年3月5日 |
死没 | 1995年6月4日(6歳没・旧7歳) |
父 | リアルシャダイ |
母 | ライラックポイント |
母の父 | マルゼンスキー |
生国 | 日本(北海道登別市) |
生産者 | ユートピア牧場 |
馬主 | 栗林英雄 |
調教師 | 飯塚好次(美浦) |
競走成績 | |
生涯成績 | 25戦6勝 |
獲得賞金 | 7億2949万7200円 |
ライスシャワーは、日本の競走馬。440kg台の比較的小柄な馬体ながら3000m以上のGIを3勝した名ステイヤーで、「淀の刺客」「関東の刺客」「高速ステイヤー」など数々の異名で呼ばれた。大一番に強く、同世代の馬が達成を目前にした大記録をことごとく阻止したことでも知られる(後述)。主戦騎手は的場均。1995年JRA賞特別賞。
※記事中の馬齢は全て旧表記(数え年)とする。
競走生活
デビューから東京優駿まで
母・ライラックポイントの「ライ」になぞらえて命名。父・リアルシャダイの「シャ」を取り入れているという説もある。
1991年8月10日に新潟競馬場の新馬戦でデビュー勝ちし、2戦目の新潟3歳ステークスでは11着に敗退するが、続く芙蓉ステークスで2勝目を挙げる。クラシック候補と期待されたが骨折で休養に入る。
明けて1992年、4歳となったライスシャワーはスプリングステークス(4着)で復帰する。続く皐月賞、NHK杯ではともに8着と精彩を欠き、東京優駿(日本ダービー)では16番人気の低評価だった。しかし、レースでは逃げるミホノブルボンの2番手を追走、直線では4馬身突き放されたものの、マヤノペトリュースとの壮絶な叩き合いを制し、2着でゴールした。
ミホノブルボンのクラシック三冠を阻止
秋に入り、緒戦のセントライト記念をレガシーワールドの2着(鞍上は田中勝春)。この頃から東京優駿(日本ダービー)の激走が本物であったと認識されてきた(とはいえ、人気面では上がり馬のトレヴィット、ホワイトアクセルに続く3番人気に甘んじていた)。続く京都新聞杯ではミホノブルボンの2着だったものの、その着差は1馬身半にまで縮まっていた。迎えたクラシック最終戦の菊花賞では、無敗の三冠がかかったミホノブルボンを直線で差し切り、3分5秒0のレコードタイム(当時)で優勝。自身初の重賞制覇をGIで飾る。
メジロマックイーンの天皇賞(春)3連覇を阻止
翌1993年は、緒戦の目黒記念2着のあと、順調に日経賞を勝利し、大目標である天皇賞(春)では、3連覇がかかったメジロマックイーンを徹底マークする競馬で破り、3分17秒1のレコードタイム(当時)で快勝する。大記録のかかった馬をゴール前鋭く差し切る姿から「淀の刺客」「レコードクラッシャー」と呼ばれた。
当時は平成初頭の関西馬全盛期にあって、最もピークを極めた関東馬不遇の時代であったが、この4月25日のライスシャワーの天皇賞勝利は、1993年の関西圏の競馬場における関東馬の初勝利でもあった。これは、その年の関東馬による関西圏での初勝利としては平成以降でも最も遅い記録である。
スランプ
極限まで仕上げた天皇賞(春)の反動や、距離が合わないレースが続いたためかその後は低迷し、1994年には日経賞2着の後、骨折が判明して休養する憂き目にも遭った。故障明けの有馬記念では三冠馬ナリタブライアン、当時最強牝馬と言われたヒシアマゾンに続く3着となり復活の兆しを見せた(因みにこのレースでは、5着となったナイスネイチャの有馬記念4年連続3着という珍記録をも阻んでいる)。しかし1995年の年明け2戦はいずれも1番人気に推されながら掲示板を外してしまう。
2年ぶりの復活
そして迎えた天皇賞(春)、もはや終わったと思われたか、出走18頭中唯一のGI馬にもかかわらず4番人気に甘んじた。しかしレースが始まると、鞍上の的場均は2周目の向正面から徐々に仕掛け始め、第3コーナーから800mのロングスパートという大勝負を仕掛ける。第4コーナーで馬群から抜け出して先頭に立ち、ステージチャンプの追い込みを鼻差しのいでゴールイン。この時ステージチャンプに騎乗していた蛯名正義がガッツポーズを見せたため敗れたと思われたが、わずかに先着しており(着差16cm)1993年の同競走以来2年ぶりの勝利で復活を果たす。スローペースと見てスタミナ勝負に持ち込み、加えて雨の重馬場をも利した的場均の好騎乗も光った。なお、3着にもハギノリアルキングが入り、リアルシャダイ産駒が1着から3着までを独占した。
宝塚記念
天皇賞(春)での激走の反動は大きく、陣営は疲労回復のために秋シーズンまで馬を休ませ、それで調子が戻らなければレースに出さずそのまま引退させることも考えていた。しかし第36回宝塚記念のファン投票で1位に選出されたことにより、出走を決断する。引退後の種牡馬としての価値を考えると、3000m以上の距離のGIしか勝っていないライスシャワーは、長距離レースが減った現代の競馬番組体系では著しく不利となることが予想され、中距離のタイトルを獲得させることが重要との判断があった。また、この年の同競走は、阪神・淡路大震災によって阪神競馬場が大きな被害を受けたことから京都競馬場での代替開催となっており、「淀の刺客」と呼ばれ、京都巧者とされていたライスシャワーにとっては2200mという微妙な距離を補うことができるかもしれないと考えられたことも出走の一つの理由であった。
しかし、レース中に4コーナー手前付近で転倒。重度の左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折という故障を発症しており手当ての術が無く、その場にて予後不良と診断され、安楽死処分となった。この時の京都は超高速馬場で脚に強い負担がかかったために起こった悲劇と当時言われ、JRAに抗議の電話が殺到したという。
死後
1995年秋、京都競馬場に同馬の記念碑が建立され、同年のJRA賞において『特別賞』が贈られた。また、故郷・北海道登別市のユートピア牧場には墓(母ライラックポイントの墓も共にある)が、育成場であった千葉県の大東牧場には馬主である栗林英雄・育子夫人の手により建立された記念碑がある。他にも、茨城県の美浦トレーニングセンターにはライスシャワーを管理していた飯塚好次調教師(現在は定年により引退)の手による記念碑(一般参拝可能)があり、栃木県大田原市のくろばねスプリングスには供養塔が建立されている。特に京都競馬場内の記念碑には現在でも多くの献花・供え物がされている。
人気
競走馬として頭角を現した当初は関西馬の大記録を相次いで阻止した関東馬というイメージが強く、「関東の刺客」というあだ名にみられるように関西では悪役的な扱いを受けていたが、関西馬に対して圧倒的な劣勢に立たされていた関東では、関西の有力馬に土をつけたことで「関東のエース」として人気を博した。
2度目の天皇賞(春)優勝を遂げると「復活した古豪ステイヤー」としてベビーフェイス的な人気を集めるようになり、最後の競走となった宝塚記念のファン投票では最も多くの票を獲得した。そのような状況下で競走中の故障により予後不良となったことで、その人気は死を悼む声と相まってさらに上昇することとなった。また、当時は長距離の重賞にハンデキャップ競走(ライスシャワークラスになると負担重量を考慮した場合出走が困難)が多かったこと、現代のようにメルボルンカップ等の海外の長距離GIに遠征するような機運、検疫などの制度面の整備が皆無に等しかったという点では、ステイヤーの不遇な面を体現した一つの例となっている馬でもある。
処置を受けたライスシャワーが納められた馬運車に向かって最敬礼をした的場の写真がファンの涙を誘い、今でも語り草となっている。
競走成績
年月日 | 競馬場 | 競走名 | 頭数 | オッズ | 着順 | 騎手 | 斤量 | 距離 | タイム(上がり) | 差 | 勝ち馬/(2着馬) | 馬体重 | ||
1991 | 8. | 10 | 新潟 | 3歳新馬 | 10 | 3.1(2) | 1 | 水野貴広 | ▲50 | 芝1000m(良) | 0:58.6(34.8) | クビ | (ダイイチリユモン) | 440 |
9. | 1 | 新潟 | 新潟3歳S(GIII) | 14 | 4.3(3) | 11 | 菅原泰夫 | 53 | 芝1200m(良) | 1:11.7(37.0) | -1.0 | ユートジェーン | 440 | |
9. | 21 | 中山 | 芙蓉S(OP) | 8 | 3.7(2) | 1 | 水野貴広 | 53 | 芝1600m(重) | 1:36.1(36.7) | 頭 | (アララットサン) | 444 | |
1992. | 3. | 29 | 中山 | スプリングS(GII) | 14 | 68.9(12) | 4 | 柴田政人 | 56 | 芝1800m(重) | 1:51.7(38.5) | -1.6 | ミホノブルボン | 450 |
4. | 19 | 中山 | 皐月賞(GI) | 17 | 59.0(11) | 8 | 的場均 | 57 | 芝2000m(良) | 2:02.8(38.0) | -1.4 | ミホノブルボン | 438 | |
5. | 10 | 東京 | NHK杯(GII) | 16 | 25.0(9) | 8 | 的場均 | 56 | 芝2000m(重) | 2:03.4(36.3) | -0.6 | ナリタタイセイ | 434 | |
5. | 31 | 東京 | 東京優駿(GI) | 18 | 114.1(16) | 2 | 的場均 | 57 | 芝2400m(稍) | 2:28.5(37.6) | -0.7 | ミホノブルボン | 430 | |
9. | 27 | 中山 | セントライト記念(GII) | 13 | 6.5(3) | 2 | 田中勝春 | 56 | 芝2200m(良) | 2:13.6(36.9) | 0.0 | レガシーワールド | 442 | |
10. | 18 | 京都 | 京都新聞杯(GII) | 10 | 7.1(2) | 2 | 的場均 | 57 | 芝2200m(良) | 2:12.2(35.9) | -0.2 | ミホノブルボン | 438 | |
11. | 8 | 京都 | 菊花賞(GI) | 18 | 7.3(2) | 1 | 的場均 | 57 | 芝3000m(良) | 3:05.0(34.6) | 1 1/4 | (ミホノブルボン) | 438 | |
12. | 27 | 中山 | 有馬記念(GI) | 16 | 4.9(2) | 8 | 的場均 | 55 | 芝2500m(良) | 2.34.1(35.1) | -0.6 | メジロパーマー | 446 | |
1993. | 2. | 21 | 東京 | 目黒記念(GII) | 12 | 3.5(2) | 2 | 的場均 | 59 | 芝2500m(良) | 2:32.8(36.6) | -0.4 | マチカネタンホイザ | 448 |
3. | 21 | 中山 | 日経賞(GII) | 12 | 1.8(1) | 1 | 的場均 | 58 | 芝2500m(良) | 2:35.8(34.9) | 2 1/2 | (イタリアンカラー) | 442 | |
4. | 25 | 京都 | 天皇賞(春)(GI) | 15 | 5.2(2) | 1 | 的場均 | 58 | 芝3200m(良) | 3:17.1(36.3) | 2 1/2 | (メジロマックイーン) | 430 | |
9. | 19 | 中山 | オールカマー(GIII) | 13 | 1.8(1) | 3 | 的場均 | 57 | 芝2200m(良) | 2.13.6(35.0) | -1.0 | ツインターボ | 436 | |
10. | 31 | 東京 | 天皇賞(秋)(GI) | 17 | 3.0(1) | 6 | 的場均 | 58 | 芝2000m(良) | 1.59.6(36.8) | -0.7 | ヤマニンゼファー | 444 | |
11. | 28 | 東京 | ジャパンC(GI) | 16 | 12.8(7) | 14 | 的場均 | 57 | 芝2400m(良) | 2.25.9(37.4) | -1.5 | レガシーワールド | 444 | |
12. | 26 | 中山 | 有馬記念(GI) | 14 | 10.9(5) | 8 | 的場均 | 57 | 芝2500m(良) | 2.32.1(35.9) | -1.2 | トウカイテイオー | 446 | |
1994 | 2. | 13 | 京都 | 京都記念(GII) | 10 | 6.6(2) | 5 | 的場均 | 60 | 芝2200m(稍) | 2.18.3(38.3) | -1.5 | ビワハヤヒデ | 444 |
3. | 20 | 中山 | 日経賞(GII) | 9 | 6.6(2) | 2 | 的場均 | 59 | 芝2500m(良) | 2.32.8(36.8) | 0.0 | ステージチャンプ | 442 | |
12. | 25 | 中山 | 有馬記念(GI) | 13 | 17.7(4) | 3 | 的場均 | 56 | 芝2500m(良) | 2.33.1(35.3) | -0.9 | ナリタブライアン | 452 | |
1995 | 2. | 12 | 京都 | 京都記念(GII) | 8 | 2.7(1) | 6 | 的場均 | 60 | 芝2200m(良) | 2.12.5(35.1) | -0.7 | ワコーチカコ | 450 |
3. | 19 | 中山 | 日経賞(GII) | 9 | 1.9(1) | 6 | 的場均 | 59 | 芝2500m(不) | 2.42.3(38.5) | -1.3 | インターライナー | 446 | |
4. | 23 | 京都 | 天皇賞(春)(GI) | 18 | 5.8(4) | 1 | 的場均 | 58 | 芝3200m(重) | 3.19.9(36.0) | ハナ | (ステージチャンプ) | 442 | |
6. | 4 | 京都 | 宝塚記念(GI) | 17 | 6.0(3) | - | 的場均 | 56 | 芝2200m(稍) | 競走中止 | - | ダンツシアトル | 438 |
(タイム赤字はレコード(当時))
重賞勝ち鞍
- GI競走
- 天皇賞(春)(1993年、1995年)
- 菊花賞(1992年)
- GII競走
- 日経賞(1993年)
※3勝したGI競走は全て京都競馬場の3000m以上の競走である。
受賞
- 1995年JRA賞特別賞
血統表
ライスシャワーの血統 | (血統表の出典) | |||
父 *リアルシャダイ Real Shadai 1979 黒鹿 |
父の父 Roberto1969 鹿 |
Hail to Reason 1958 黒鹿 |
Turn-to 1951 鹿 | |
Nothirdchance 1948 鹿 | ||||
Bramalea 1959 黒鹿 |
Nashua 1952 鹿 | |||
Rarelea 1949 鹿 | ||||
父の母 Desert Vixen1970 黒鹿 |
In Reality 1964 鹿 |
Intentionally 1956 青 | ||
My Dear Girl 1957 栗 | ||||
Desert Trial 1963 栗 |
Moslem Chief 1957 鹿 | |||
Scotch Verdict 1960 栗 | ||||
母 ライラックポイント 1979 鹿 |
マルゼンスキー 1974 鹿 |
Nijinsky 1967 鹿 |
Northern Dancer 1961 鹿 | |
Flaming Page 1959 鹿毛 | ||||
*シル Shill 1970 鹿 |
Buckpasser 1963 鹿 | |||
Quill 1956 栗 | ||||
母の母 クリカツラ1962 黒鹿 |
*ティエポロ Tiepolo 1955 鹿 |
Blue Peter 1936 栗 | ||
Trevisana 1945 鹿 | ||||
クリノホシ 1953 鹿 |
*プリメロ Primero 1931 鹿 | |||
オホヒカリ (F-No.1-C) 1943 栗 |
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