NB-36H
NB-36Hとは、アメリカ合衆国が1950年代に試験を行った原子力飛行機。実用化を検討していた原子力推進爆撃機WS-125(ウエポン・システム)開発の第一段階として製作された。
本機の目的は、航空機に原子炉を搭載し、放射線に対する遮蔽の実験や、電気回路に対する放射線の影響を調査することにあった。しかし1961年には計画そのものが破棄された。
実験機の概要
原子炉を搭載する実験機として、当時の最新の戦略爆撃機であるコンベアB-36Hの機体を改造している。この実験機では、動力としては用いなかったが、出力1メガワットの原子炉P-1が機内に設置されていた。
この研究ではコンベアが携わっており、将来的にはコンベア社は本格的な原子力推進試験機であるX-6を開発するデータ集積に使う予定であった。そのため、原子炉が乗員に与える影響などを調べるものであった。NB-36Hには乗員を放射線から守る放射線防御シールドが施されており、機首の操縦席はカプセル状に改装された。操縦カプセルの重量だけで11tにもなった。
また、1955年9月から1957年3月まで47回の飛行が行われていたが、そのたびに放射線を測定するボーイングB-50と、万が一墜落した場合には現場を封鎖する兵士を乗せたC-119輸送機が随伴していたという。また、飛行終了後は、コンベア社のフォートワース工場内に設置された特製ピットでNB-36Hから降ろされた原子炉を検査の上で試運転していた。
原子力推進機関
NB-36Hでは、原子力エネルギーを推進力に使用していなかったが、アメリカ空軍などが次に開発しようとしていたX-6では、GE社による「原子力ターボジェットP-1」を搭載しようとしていた。このエンジンは、圧縮された空気が原子炉が発する華氏2500度の高温により加熱され、高温の空気として噴出されるというものであった。当時の未来予想では、原子力推進航空機の実用化が予言されていたが、噴出されるジェット排気は放射能汚染されている可能性が高く、実用化が困難であった。
そのため実際の兵器としての価値はないとして、原子力爆撃機計画は破棄された。いずれにしても、NB-36Hは航空機に稼動可能な原子炉が搭載されたアメリカ史上初、かつ唯一のケースである。
ソ連の原子力推進飛行機
アメリカの冷戦時代のライバルであるソ連も、ツポレフTu-95戦略爆撃機に原子炉を搭載したTu-119を実験していたが、NB-36Hと同様な経過をたどって、実際に原子力推進飛行機の製造には至らなかった。