段疾陸眷
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段 疾陸眷(呉音:だん じちろくけん、漢音:たん しつりくけん、拼音:Duàn Jílùjuàn、生年不詳 - 318年)は、鮮卑段部の大人(たいじん:部族長)。『魏書』では就六眷と表記される。父は段務勿塵。
生涯
父のあとをついで遼西公となる。
漢の劉曜が洛陽に迫ると、王浚は督護の王昌等を派遣し疾陸眷及びその弟の文鴦を率い、疾陸眷の従弟の末波は石勒を襄国にて攻めるが、石勒に捕らわれてしまう。石勒は末波を人質にして講和を求めた。弟の文鴦に諌められるも疾陸眷は末波を案じこれを承諾。さらに石勒の甥の石虎と同盟を組み兄弟の契りを結んだ。このことは王浚の怒りを買い、王浚は以降没落していく。
建武元年(317年)、弟の段匹磾が劉琨と同盟を結び、石勒を攻撃しようとした際、石勒から賄賂を受け取っていた末波をはじめ、石虎と兄弟の契りを結んだ疾陸眷・叔父の渉複辰は協力しなかった。
翌年、疾陸眷が病死する。匹磾は劉琨の世子の劉群とともに薊から奔喪し、右北平に至ったところで末波に襲撃された。さらに末波は渉複辰及びその子弟親戚二百余人を殺し、自ら単于と称し、段部大人となった。これに対し匹磾も自立し、段部は分裂した。
関連項目
参考資料
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