Amiga CD32
メーカー | コモドール |
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種別 | 据置型ゲーム機 |
世代 | 第5世代 |
発売日 | 1993年 |
対応メディア | CD-ROM |
対応ストレージ | バッテリーバックアップ |
コントローラ入力 | ケーブル |
Amiga CD32(アミーガシーディーサンジュウニ)は1993年9月にコモドールから発売されたゲーム機である。
コモドール社は当初からCDベースのマルチメディア機器に興味を示しており、オランダフィリップス社のCD-iに対抗してCDTVと言うマルチメディア機器をリリースしたが商業的には失敗。そこでマルチメディアと言う曖昧な商品を開発するのを避け、ゲーム機として開発されたのがAmiga CD32である。ある意味AMIGAシリーズの原点回帰を狙った製品である。世界初の32ビットゲーム機を標榜していた(が、実際はFM TOWNS マーティーの方が早い)。
ハードウェア的にはCDTV自体が同社のAmiga 500の流用だったが、基本的にはAmiga CD32もAmiga 1200のハードウェアの流用である。ただし、一つだけ改良点があり、それはWindowsマシンの為に描かれたグラフィックスを流用できるカスタムチップを搭載し、ゲーム開発者の開発コストを削減できるように配慮した部分である。
拡張モジュールとして当時最先端だったMPEG-1デコーダーがある。これでビデオCDを用いた映画の視聴が出来る、と言うのが売り文句だった。
Amiga CD32はヨーロッパを中心に販売戦略を展開していて、当時のライバル機はCDドライブ拡張機能があったセガのGENESIS。コモドール社はハードウェアメーカーらしく、Amiga CD32のGENESISに対するハードウェアの優位性を強調する戦略を取るが、ゲーム雑誌『Amiga Power』にて100点満点中3点をつけられたクソゲーをバンドルするなどの暴挙に出て非難された。サードパーティ製のZOOLなどが良ゲーとして知られているが、ZOOLはAmiga CD32を代表するほどのキラーソフトにはなり得ず、プレイヤビリティも当時人気があったGENESISのアクションゲーム、ソニック・ザ・ヘッジホッグに遠く及ばなかった。
時を前後して、エレクトロニック・アーツ社のトリップ・ホーキンスとオリジナルのAmigaの開発設計者Jay Minorが組んで新世代機3DOを発表したり、AtariもAtari Jaguarを発表するなど、ゲーム雑誌ではさかんに次世代機の特集が組まれていたため、ゲームファンに対するAmiga CD32のインパクトはさほど無かったのも事実である。また1993年当時はFPSや対戦型格闘ゲームなどの新ジャンルがゲーム市場で勃興しつつあったが、Amiga用ゲームからの持ち上がり組が多いサードパーティたちには新ジャンルを開拓する力は無く、Amiga CD32は欧米初の32ビット次世代機でありながら、旧Amiga用にリリースされた過去作品と似たような作品が多かったことも次世代機としてのヒットに結びつかなかったことの一因である。
アメリカにも出荷が予定されていたが特許問題が発生したために販売が許可されず、解決に手間取っている間にコモドールは倒産してしまう。パソコン事業で苦戦していたコモドールにとってはゲーム機事業が最後の希望であったが、ヨーロッパ市場でのAmiga CD32の売り上げはコモドールの経営を支えるには至らなかった。事実上、Amiga CD32がコモドール社最後のハードとなった。
1994年4月のコモドール倒産までに10万台ほど売れたと推測されている。
関連項目
- Amiga
- FM TOWNS マーティー…パソコンのFM TOWNSをゲーム機としてリリースすると言う、Amiga CD32と似たコンセプトのゲーム機。製造元の富士通は大失敗したが、本業のパソコン事業が好調であったために倒産はしていない。