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天童の戦い

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天童の戦い
戦争戊辰戦争
年月日慶応4年閏4月4日1868年5月25日
場所出羽国天童
結果:新政府軍の勝利
交戦勢力
新政府軍
天童藩
山形藩松前藩館林藩
旧幕府軍
庄内藩
指導者・指揮官
吉田大八
天童藩家老)
酒井吉之丞
(庄内軍二番大隊隊長)
戦力
200
損害
天童城と城下町の焼討ちに会う
戊辰戦争

天童の戦い(てんどうのたたかい)は、出羽国天童で行われた、庄内藩を中心とする新政府軍と、新政府軍のとの戊辰戦争の戦いの一つ。

経緯

庄内藩の首脳部は、戦争不拡大の方針であったが、鎮撫軍は慶応4年(1868年)閏4月3日夜軍議を開き、5日に谷地(山形県西村山郡河北町)に攻撃するように厳命した。

酒井兵部は4日に先制攻撃をして4日に、最上川を渡り、天童を攻撃して天童と市街の南半分の230戸を焼討ちにした。これは庄内藩主の命令なき現地軍の暴走であった。天童藩主織田信敏は城外に逃れ、山形藩は山形に館林藩は漆山(山形市漆山)、松前藩は東根に逃走した。

この日を持って、庄内藩と奥羽鎮撫総督政府軍との正式な開戦になり、酒井忠篤の官位は剥奪され、庄内藩は正式に討伐の対象になる。閏4月10日に奥羽鎮撫使は庄内征伐を発令した。

参考文献

  • 『三百藩戊辰戦争事典』人物往来社、2001年
  • 『西川史町』