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拓跋紇那

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拓跋 紇那(たくばつ こつな、拼音:Tuòbá Gēnà/Hénà、生没年不詳、在位:325年 - 329年335年 - 337年)は、代国の王。のちに北魏の太祖道武帝によって煬皇帝と追諡されている。拓跋猗㐌の第3子、拓跋普根拓跋賀傉の弟。

生涯

当時の代ではまだ皇位継承が確立しておらず、兄の賀傉の死後に紇那は同族の拓跋翳槐との間で対立を繰り返し、一度は廃位され逃亡したにもかかわらず再度復位したりと、主導権を奪い合った。その一方では後趙とも対立を繰り返した。

しかし、結局は後趙の支持を得た翳槐が勝利する。その後は翳槐の弟の系統が、代から北魏に至るまで皇位を嗣いだので、対立していた紇那には煬帝という悪諡号が贈られた。

先代
拓跋賀傉(恵帝)
代王
第6代:325年 - 329年
第8代:335年 - 337年
次代
拓跋翳槐(烈帝)