釣瓶落峠
釣瓶落峠(つるべおとしとうげ)は、青森県中津軽郡西目屋村と秋田県山本郡藤里町にまたがる峠である。
概要
当峠は、西目屋村市地区と藤里町太良地区にまたがり、世界遺産・白神山地の東側に位置する。
当峠のすぐ西側には青森県道・秋田県道317号西目屋二ツ井線が通り、県境の区間には釣瓶落トンネル(標高710m)が通っている。なお、県道317号は、冬期間および悪天候時には通行止めとなる。トンネルができる以前は、鎖を使い急な崖を200mも上り下りしなければ通行できなかった峠である。そのため、井戸の「釣瓶落とし」から名付けられた。また、峠の上には記帳できるノートが据え付けられていた。
道路とトンネルが完成して、峠から見える桧原沢の紅葉やヒバ(サワラ)・天然秋田杉が名物になっている。
峠周辺は県境に沿って、白神山地から八甲田山・十和田湖周辺に至る「白神八甲田緑の回廊」となっている。野生動物の移動する経路として設定されている。
秋田県側は峠まで全面舗装されている。青森県側は峠から5km程度が舗装されている。土砂崩れのため、2005年5月から2008年5月23日まで通行止めが続いていた。峠の青森県側は比較的なだらかで、ブナ林の中に渓流が続く白神山地特有の地形となっているが、秋田県側は崖とブナやヒバ、天然秋田杉などの荒々しい地形となっている。
融雪や降雨時には、滝が現れる。春には新緑に包まれた背景と道路沿いのウラジロヨウラク、ムラサキヤシオツツジ、タムシバなどの花々が咲く。
歴史
釣瓶落峠は、津軽藩と久保田藩をつなぐ峠の1つであった。おもに尾太鉱山や太良鉱山への物資の交換のため、人々が往来したといわれている。戊辰戦争では、大館城攻城戦で津軽藩は久保田藩を応援し、協力して大軍で押し寄せる南部藩を攻撃したが、大館城は落城した。その後、釣瓶落峠の川下にあるきみまち阪[1]に防衛地点を再設定した久保田藩は、津軽藩の裏切りを警戒して、釣瓶落峠に数人のマタギよりなる鉄砲隊を配置した。