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ダンツシアトル

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ダンツシアトル
1995年6月4日 京都競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1990年5月13日(34歳)
登録日 1992年9月3日
抹消日 1997年1月22日
Seattle Slew
Call Me Goddess
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 サラブレッド ブリーディング
アソシエイツ サービス
馬主 山元哲二
調教師 山内研二栗東
競走成績
生涯成績 14戦8勝
獲得賞金 2億8131万3000円
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ダンツシアトルとは、アメリカ産まれの日本競走馬である。父は無敗のアメリカ三冠Seattle Slew、祖母にCCAオークス(アメリカGI)勝ち馬Marshua、半姉にサンタラリ賞フランスG1)勝ちのSmuggly、イタリアオークス(イタリアG1)2着のAslがいる良血馬。バレッツセールで32万5000ドルで落札され、日本へと輸入された外国産馬である。

馬齢は旧表記で統一。

戦績

3歳

ダンツシアトルがデビューしたのは1992年10月東京での新馬戦。生まれつき脚が外向していたため強い調教が積めず、この時期のデビューには懐疑的な声もあったが、4馬身差で勝利した。次に出走した赤松賞(500万下)でも勝利しクラシック候補馬として名乗りを挙げたが、その矢先に骨折が判明し、長期休養に入った。

4 - 5歳

ダンツシアトルが復帰したのは1993年9月だった。初戦の苗場特別(900万下)は4着だったが、続く浦安特別(900万下)を快勝。この後、ダンツシアトルはウェルカムステークス(1500万下)も勝ち、遂にオープン馬になった。

ダンツシアトルが重賞に初挑戦したのは年が明けて古馬になった1994年1月日経新春杯だった。4番人気に推されたが、直線で失速し7着に敗れた。その後、すばるステークス8着、バレンタインステークス3着とオープン特別を2戦した後、左前脚に屈腱炎を発症し、ふたたび長期休養を強いられた。その間にクラスも準オープンに降級した。

6歳

ダンツシアトルの復帰戦は1995年3月の道頓堀ステークス(1500万下)だった。長期休養明けだっただけに単勝は12番人気と低評価だったが快勝し、オープン馬に復帰した。

その後、ダンツシアトルは陽春ステークス(オープン特別)で3着(致命的な不利があった)、オーストラリアトロフィー(オープン特別)1着を経て、京阪杯に出走した。安田記念除外となったため、このレースに出走したダンツシアトルはオークスチョウカイキャロルに1馬身半差をつけて勝ち、初重賞制覇を果たした。

遂に重賞ウイナーとなったダンツシアトルは次走に宝塚記念を選択、これがGI初挑戦となった。本命馬不在の混戦の中、2番人気に支持されたダンツシアトルは同じシアトルスルーを父に持つタイキブリザードをクビ差抑えてGI初勝利を挙げた[1][2]

宝塚記念後、ダンツシアトルはジャパンカップへ向けて調整していたが、その中途で屈腱炎が再発し再び休養に入った。レコード決着となった宝塚記念で激走した反動で屈腱炎が再発したのだろう、と当時噂されたが、実際のところ原因は未だもって分かっていない。

結局、ダンツシアトルはこの屈腱炎が原因で復帰することができず、1997年1月に引退。種牡馬となった。

引退後

ダンツシアトルは日本中央競馬会 (JRA) に種牡馬として購入され、日本軽種馬協会へと寄贈された。2006年2007年は九州種馬場で、2008年は那須種馬場で、2009年東京大学大学院農学生命科学研究科付属牧場で繋養され、現在は再び九州種馬場で繋養されている。

血統的には申し分ないのだが、シアトルスルーから続く父系血統が日本ではそれほど活躍しておらず(ダンツシアトルと同じ父を持つタイキブリザードも種牡馬としては成功しなかった)、種付け数がそれほど多くない(ダンツシアトルの種付け数は毎年10頭前後)こともあり、成績は伸びていない。中央競馬ではオープン勝ち馬を2頭出したものの、重賞勝ちに届くような活躍馬は今のところ出ていない。

おもな産駒

  • 1998年産
  • 1999年産
  • 2000年産
    • ベルガモットシール(霧島賞)
  • 2001年産
    • バルトフォンテン(中山新春ジャンプステークス)
  • 2006年産
    • カシノチェスト(たんぽぽ賞)
  • 2008年産
    • クラウンリバー(たんぽぽ賞)

競走成績

年月日 競馬場 競走名 頭数 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F)
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1992.10.17 東京 新馬 6 01.1 0(1人) 1着 岡部幸雄 53 ダ1400m(稍) R1:26.9 (37.8) -0.7 (マウントロマン)
0000.11.14 東京 赤松賞 10 02.2 0(1人) 1着 岡部幸雄 54 ダ1400m(良) R1:25.3 (37.6) -0.3 (シロキタアラシ)
1993.09.06 新潟 苗場特別 16 04.3 0(2人) 4着 田中勝春 55 芝1200m(良) R1:10.5 (35.2) -0.2 エルカーサロマン
0000.09.18 中山 浦安特別 10 02.3 0(1人) 1着 蛯名正義 55 芝1600m(良) R1:34.2 (35.0) -0.2 (リワードガルソン)
0000.10.30 東京 アイルランドT OP 12 02.9 0(1人) 6着 武豊 54 芝1600m(重) R1:35.5 (36.5) -1.0 イイデザオウ
0000.11.28 東京 ウェルカムS 16 07.7 0(2人) 1着 蛯名正義 56 芝2000m(良) R2:00.2 (35.7) -0.1 (ニホンピロナーリー)
1994.01.23 阪神 日経新春杯 GII 16 06.7 0(4人) 7着 武豊 55 芝2500m(良) R2:37.1 (38.7) -1.6 ムッシュシェクル
0000.02.05 阪神 すばるS OP 12 02.0 0(1人) 8着 田原成貴 55 ダ1400m(稍) R1:25.7 (37.8) -1.9 エイシンライジン
0000.02.18 東京 バレンタインS OP 14 03.4 0(2人) 3着 岡部幸雄 55 芝1800m(良) R1:46.6 (35.9) -0.4 パワフルボーイ
1995.03.26 京都 道頓堀S 16 69.9 (12人) 1着 村本善之 56 芝1600m(良) R1:33.6 (36.1) -0.2 (タマモロード)
0000.04.16 京都 陽春S OP 14 02.7 0(1人) 3着 村本善之 55 芝1600m(良) R1:34.3 (36.1) -0.4 フェイヴァーワン
0000.04.30 京都 オーストラリアT OP 11 02.3 0(2人) 1着 村本善之 56.5 芝1800m(良) R1:46.7 (34.2) -0.5 (アロートゥスズカ)
0000.05.13 京都 京阪杯 GIII 12 02.7 0(1人) 1着 村本善之 57 芝2000m(良) R1:58.9 (35.1) -0.2 チョウカイキャロル
0000.06.04 京都 宝塚記念 GI 17 05.1 0(2人) 1着 村本善之 57 芝2200m(稍) R2:10.2 (34.7) -0.1 タイキブリザード

血統表

ダンツシアトル血統ボールドルーラー系ナスルーラ系〉 / Princequillo5×3=15.63% Nasrullah5×5×4=12.50% Striking5×5=6.25% Busher5×5=6.25%) (血統表の出典)

Seattle Slew
1974 黒鹿毛
父の父
Bold Reasoning
1968 黒鹿毛
Boldnesian Bold Ruler
Alanesian
Reason to Earn Hail to Reason
Sailing Home
父の母
My Charmer
1969 鹿毛
Poker Round Table
Glamour
Fair Charmer Jet Action
Myrtle Charm

Call Me Goddess
1971 栗毛
Prince John
1953 栗毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Not Afraid Count Fleet
Banish Fear
母の母
Marshua
1962 鹿毛
Nashua Nasrullah
Segula
Emardee Heliopolis
Miss Drummond F-No.16

祖母Mashuaの曾孫にハートレイク(1995年安田記念GI勝ち)がいる。

脚注および出典

  1. ^ この時の走破タイム2分10秒2は、2012年京都新聞杯トーセンホマレボシが2分10秒0を記録するまでの京都芝2200メートルのコースレコードであったと同時に、2004年セントライト記念コスモバルクが2分10秒1を記録するまでの芝2200メートルの日本レコードであった。
  2. ^ タイム自体は、2011年アーネストリーが2分10秒1を記録するまでの宝塚記念のレースレコードであったが、この年の宝塚記念は京都開催で参考記録となっていた。

外部リンク