コンテンツにスキップ

虎林虎吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2014年10月30日 (木) 12:13; 松茸 (会話 | 投稿記録) による版 (+Cat)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

虎林 虎吉(とらばやし とらきち、1855年安政2年) - 1907年明治40年)11月6日)は摂津国西成郡難波村(現・大阪府大阪市中央区難波)出身の大相撲力士。本名は不明。大阪相撲で活躍し最高位は大関。地元出身とあって人気を博した。

略歴

[編集]

朝日山に入門し、のち藤嶋の弟子となる。1879年(明治12年)9月虎林 虎吉寅吉)で見習二段目に顔を出す。トントン拍子に出世し1884年(明治17年)9月入幕。1886年(明治19年)10月小結、1場所で1887年(明治20年)9月には大関となった。

大阪の第一人者として活躍し1893年(明治26年)10月限りで引退、一代頭取(年寄)虎林となり勝負検査役を努める傍ら貸席などを経営していた。1907年(明治40年)11月6日数え53歳で死去。

実弟の高根松竹治郎が1890年(明治23年)8月に入幕し兄弟同時幕内と話題になるが、高根松は現役で亡くなった。

参考文献

[編集]