NB-36H
NB-36Hとは、アメリカ合衆国が1950年代に試験を行った航空機。実用化を検討していた原子力推進爆撃機WS-125(ウエポン・システム)開発の第一段階として製作された。
本機の目的は、航空機に原子炉を搭載し、放射線に対する遮蔽の実験や、電気回路に対する放射線の影響を調査することにあった。1機が改造・製作され、1955年から1957年まで飛行試験が行われた。機体は1958年に解体されている[1]。
概要
原子炉を搭載する実験機として、当時の最新の戦略爆撃機であるコンベアB-36H(B-36H-20-CF シリアル番号51-5712)の機体を改造している。竜巻による損傷を受け、修理が必要とされていた機体を改造母機とした[1]。この実験機では、動力としては用いなかったが、後部爆弾倉を改装し、原子炉P-1(加圧水型・出力1メガワット)を機内に設置していた[2]。 この研究ではコンベアが携わっており、将来的にはコンベア社は本格的な原子力推進試験機であるX-6を開発するデータ集積に使う予定であった。そのため、原子炉が乗員に与える影響などを調べるものであった。NB-36Hには乗員を放射線から守る、水タンク等の放射線防御シールドが施されており、機首の操縦席はカプセル状に改装された。遮蔽用の鉛や鉛ガラスなど用いたため、操縦カプセルの重量だけで12tにもなり、地上支援車両にも遮蔽処理が施されている[2]。
NB-36HはMX1589計画として、1951年より本格開発が開始された。X-6計画が1953年に中止されたのちも、放射線遮蔽試験用として、開発が継続された。また、1955年9月から1957年3月まで47回・計215時間の飛行試験が行われていたが、そのたびに放射線を測定するボーイングB-50と、万が一墜落した場合には現場を封鎖する兵士を乗せたC-119輸送機が随伴していた[2]。また、飛行終了後は、コンベア社のフォートワース工場内に設置された特製ピットでNB-36Hから降ろされた原子炉を検査の上で試運転していた。
原子力推進機関
NB-36Hでは、原子力エネルギーを推進力に使用していなかったが、アメリカ空軍などが次に開発しようとしていたX-6では、GE社による「原子力ターボジェットP-1」を搭載しようとしていた。このエンジンは、圧縮された空気が原子炉が発する華氏2500度の高温により加熱され、高温の空気として噴出されるというものであった。
開発当時の未来予想では、原子力推進航空機の実用化が予言されていたが、実際には噴出されるジェット排気は放射能汚染されている可能性が高く、実用化が困難であった。
そのため実際の兵器としての価値はないとして、最終的に1961年に原子力爆撃機計画は破棄された。いずれにしても、NB-36Hは航空機に稼動可能な原子炉が搭載されたアメリカ史上初、かつ唯一のケースである。
ソ連の原子力推進飛行機
アメリカの冷戦時代のライバルであるソ連も、ツポレフTu-95戦略爆撃機に原子炉を搭載したTu-119を実験していたが、NB-36Hと同様な経過をたどって、実際に原子力推進飛行機の製造には至らなかった。
NB-36Hのスペック
- エンジン Pratt & Whitney R-4360-53
- 出力 3,800 hp(離陸時)
- 基数 6基
- エンジン General Electric J47-GE-19
- 出力 5,200 lbs
- 基数 4基
- エンジンの種類 ターボジェット
- 全長 230 ft.
- 高さ 46 ft. 8 in.
- 重さ 357500 lbs
- 乗員 5名(操縦士、副操縦士、航空機関士、原子力機関士2名)
脚注
参考文献
- 「Xプレーンズ」,世界の傑作機No67,文林堂 1997年 ISBN 978-4893190642