周富徳
しゅう とみとく 周 富徳 | |
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生誕 |
1943年3月11日 神奈川県横浜市中区山下町[1] (横浜中華街)[1] |
死没 |
2014年4月8日(71歳没) 神奈川県横浜市中区[1] |
死因 | 誤嚥性肺炎[1] |
別名 | 炎の料理人[1] |
民族 | 在日中国人二世 |
出身校 | 武相高等学校 |
職業 | 料理人・実業家 |
活動期間 | 1961年 - 2014年 |
著名な実績 | 聘珍樓総料理長など |
活動拠点 | 広東名菜富徳 |
テレビ番組 | フジテレビ『料理の鉄人』など |
家族 | 周富輝ほか |
公式サイト | 公式ウェブサイト |
周 富徳(しゅう とみとく、1943年3月11日 - 2014年4月8日)は、広東料理の料理人・実業家。神奈川県横浜市中区山下町[1]の横浜中華街出身[1][2]。愛称は「炎の料理人」[3]。
略歴
料理人の道へ
両親は中国広東省出身[1]。父親も横浜中華街で料理人を営んでいた[1]。
在日中国人二世[4]。武相高等学校卒。兄に中華料理店オーナーの周富新、弟に同じく料理人の周富安、周富輝がいる。また、息子の周志鴻(しこう)も料理人である。
18歳で料理の道に入る[2]。1961年に新橋「中華飯店」に入社して修行を積み、京王プラザホテル「南園」[2]を経て、「聘珍樓」、「赤坂璃宮」[2]で総料理長を歴任。1993年に「広東名菜富徳」青山店のオーナーとして独立した[2]。
テレビへの出演
テレビ番組には、「南園」時代からNHK『きょうの料理』に出演していたが、1990年代に入ってからは、テレビ東京系『浅草橋ヤング洋品店』、TBS系『わいど!ウオッチャー』火曜日のコーナー「周富徳の中華指南」、フジテレビ系『たほいや』などの番組への出演でブレイクし、全国区の人気となった[4]。
特に『浅草橋ヤング洋品店』の人気コーナー「中華大戦争」では、弟や譚彦彬(学生時代の同級生)、金萬福らも巻き込んだ[4]。当時「カメラ目線」と浅草キッドらに突っ込まれていたが、実際はカメラのアップが嫌で睨んでいたのを「カメラ目線」と受け取られたというのが本人の弁である。
さらに、フジテレビ系『料理の鉄人』にも出演、大親友でもある初代和の鉄人・道場六三郎との戦いでの活躍も有名である(対戦結果は1勝1敗)[2]。
料理人の枠を超えて、タレント的な活動を展開していた。1993年10月26日放送の日本テレビ『いつみても波瀾万丈』にゲストとして出演し、半生が回顧された。翌1994年12月31日の『NHK紅白歌合戦』にゲスト出演するほどの勢いだった[4]。
不祥事
その後も中華料理店を多数経営し、各地で講演活動を行うなどしていたが、1990年代後半にはセクハラ疑惑が報じられた[4]。
2001年には法人税を脱税(約4,700万円)したことで、懲役1年執行猶予3年、罰金1,000万円の判決を受けた[4]。これらの影響によりメディアへの出演が減り、自身が営んでいた中華料理店の経営も悪化した[4]。
青山の「広東名菜富徳」以外にも、以下の店舗を経営していたが、のちに閉店している。
- 富徳 - 千葉県柏市名戸ケ谷888−1。「PAZ新柏」2階の文教堂書店横にあった。跡地にはくら寿司が出店。
- 「PAZ新柏」は、ヨークマート新柏店(現:ヨークフーズ新柏店)を核店舗とする2階建てのショッピングセンターで、新柏駅からは徒歩30分程度。
- 王宮 - 埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)。大宮駅西口のファッションビル「アルシェ」8階にあった。
- 王宮茶房 - いわゆるデパ地下惣菜店。「王宮」と同じ大宮駅の駅ビル「ルミネ2」1階にあった。
晩年
著書に『周さんのダイエット中華―おいしく食べてスッキリやせる』(廣済堂出版、1994年)があるが、自身は糖尿病を患っていた[1][5]。
2013年8月に肺炎を患ったため、毎月「広東名菜富徳」で行っていた料理教室を休んだ。その後は入退院を繰り返し、病状が悪化していた[1]。
2014年4月8日午後11時37分、誤嚥性肺炎のため、横浜市中区の病院で死去した。享年71歳[1][3][6]。葬儀は家族葬で執り行われた[1]。
横浜市中区の馬車道通りで中華料理店「生香園」を経営する弟の富輝は、富徳の死に際し「兄は俺の師匠。たくさん教えてもらった。兄を超えるのが恩返しだと思っているけど、たぶん無理。でも頑張るよ」と、新聞社の取材に対して語った[1]。
青山の店「広東名菜富徳」は、長男の志鴻が跡を継ぎ、現在も営業を続けている[7][8]。
著書
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単著
レシピ本
- 『周富徳の広東料理は野菜がうまい』NHKきょうの料理シリーズ、日本放送出版協会、1991年。ISBN 414187504X
- 『周富徳の究極中華虎の巻』Recruit Special Edition、メディアファクトリー、1993年。
- 『周富徳 低カロリーの中華 簡単に作れるヘルシーメニュー・カロリー表示付き』扶桑社、1994年。ISBN 4594013899
- 『周富徳の覚えて得する広東のおかず』NHKきょうの料理シリーズ、日本放送出版協会、1994年。
- 『周富徳 レシピ 料理の達人365日』『週刊女性』別冊、主婦と生活社、1995年。
- 『朝は健康お粥から』ワニブックス、1995年2月、ISBN 4847012291
エッセイ
共著
漫画版レシピ本
- 赤星たみこ(漫画)
- レタスクラブシリーズ、SSコミュニケーションズ
- 『漫画で教えてもらった 周さんのハナマル8分中華』1995年10月。ISBN 4827540012
- 『漫画で教えてもらった 周さんのメチャウマ200円中華』1995年10月。ISBN 4827540020
- 『漫画で教えてもらった 周さんのきれいになる週3中華』1996年3月。ISBN 4827540047
- ヒット出版社
- 『周富徳直伝!! ひと味かえて本格家庭中華 1 上巻』1999年4月。ISBN 9784894650107
- 『周富徳直伝!! ひと味かえて本格家庭中華 2 下巻』1999年8月。ISBN 9784894650114
- レタスクラブシリーズ、SSコミュニケーションズ
周富徳を題材にした作品
- 『周富徳物語 食の魔術師』フーディアム・コミュニケーション、1993年6月。ISBN 4938642069
- 『純白の殺意 グルメライター水沢風味子・周富徳の殺人レシピ』新津きよみ、ホリプロ、1994年11月。
- 『中華名人 周ロック・ホームズ-香港デラックス・ツアー殺人事件』金春智子、ホリプロ、1995年11月。
- 『周ロック・ホームズ―雨の軽井沢殺人事件』志茂田景樹、湘南出版センター、1996年7月10日。
炎の料理人 周富徳
今泉伸二による漫画作品。総合企画・原案はKISHO、原作は荒仁。『スーパージャンプ』に1994年11月より約2年間連載された周富徳の半生記だが、作中に架空の国の国王が登場するなどフィクション性が強い。単行本は全9巻(集英社)。
1995年12月1日には、フジテレビ系列『金曜エンタテイメント』でテレビドラマ化された。主人公は堂本光一。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “71歳「中華の鉄人」周富徳さん死す - 芸能ニュース”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2014年4月14日). 2020年6月16日閲覧。
- ^ a b c d e f フジテレビ「料理の鉄人」 編『料理の鉄人 レストランガイド』フジテレビ出版、30、31ページ頁。ISBN 4-594-01824-6。
- ^ a b “「炎の料理人」周富徳さん死去”. ORICON NEWS (2014年4月13日). 2019年12月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g “波瀾万丈・艶福な生涯だった……“中華街生まれのハマっ子”周富徳さんの功績”. 日刊サイゾー (2014年4月14日). 2020年6月16日閲覧。
- ^ 周富徳さん、佐野実さんを襲った糖尿病の恐怖 脳出血や失明など合併症リスク ZAKZAK by 夕刊フジ、2014年4月14日閲覧
- ^ 中華料理の周富徳さん死去、71歳 日刊スポーツ、2014年4月13日閲覧
- ^ 広東名菜富徳 心の味 公式サイト
- ^ 広東名菜 富徳 (カントンメイサイトミトク) - 外苑前/広東料理 食べログ