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市川新之助

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三升

市川 新之助(いちかわ しんのすけ)は、歌舞伎役者の名跡七代目市川團十郎の初名に由来する。屋号成田屋定紋は三升。

市川新之助代々

  • 二代目 市川新之助
    • 初代の長男、1823–54。大坂で自殺。
    • 二代目市川新之助 → 六代目市川海老蔵 → 八代目市川團十郎
十一代目市川海老蔵が「十三代目市川團十郎白猿」を襲名し、歌舞伎座の2020年5月、6月、7月公演で襲名披露を行うと共に、8代目新之助を長男が同時襲名する予定であったが[1] [2]新型コロナウイルス流行に伴う2020年4月の緊急事態宣言を受け公演を延期することが発表された[3]

市川新之助代外

  • 三代目 市川新之助 = 六代目 市川高麗蔵
    • 初代の次男、????–??。初代の長男・二代目新之助が六代目海老蔵を襲名したのにともない、次男が三代目として「新之助」の名跡を襲った。しかし彼は間もなく六代目高麗蔵を襲名したため、「新之助」はさらに三男によって襲名された。この次男はたしかに「新之助」を襲名したが、それを名乗ったのはごく短い期間で、しかも間もなく疱瘡で片目を失い役者廃業という不本意な結果となったことから、やがて彼のことは新之助代々に数えないようになった。
    • 三代目市川新之助→ 六代目市川高麗蔵 →(役者廃業後)堀越重兵衛
  • 六代目 市川新之助 = 八代目 片岡仁左衛門
    • 初代の養子、1810–63。初代の門人からその養子となり新之助を襲名するが、のち離縁されて二代目嵐璃寛の門人に。その後こんどは七代目片岡仁左衛門の門人からその養子となり、最終的に「仁左衛門」の大名跡を襲名するに至った。この養子もたしかに「新之助」を六代目として名乗ったが、離縁された後に他門で大成した経緯もあることから、やがて彼のことも新之助代々には数えないようになった。
    • 六代目市川新之助 → 三升岩五郎 → 嵐橘次郎 → 初代片岡我當 → 二代目片岡我童 → 八代目片岡仁左衛門

脚注

  1. ^ 2020年5月、十三代目市川團十郎白猿の襲名披露を発表”. 歌舞伎美人(かぶきびと). 松竹株式会社 (2019年1月14日). 2020年11月21日閲覧。
  2. ^ 国立劇場調査記録課 編『歌舞伎俳優名跡便覧[第五次修訂版]』P.67上段に「名跡 市川新之助|八代」初出。 "参考:令和2年5月、歌舞伎座にて8代目市川新之助を襲名予定(平成31年1月14日に発表)"と掲載。|独立行政法人日本芸術文化振興会 2020年3月31日発行
  3. ^ 歌舞伎座5月、6月、7月「十三代目市川團十郎白猿襲名披露」延期のお知らせ”. 歌舞伎美人(かぶきびと). 松竹株式会社 (2019年1月14日). 2020年11月21日閲覧。