藤原藤成
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 宝亀7年(776年) |
死没 | 弘仁13年5月4日(822年5月27日) |
官位 | 従四位下、伊勢守 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 藤原北家魚名流 |
父母 | 父:藤原魚名、母:津守氏 |
兄弟 | 鷹取、鷲取、末茂、藤成、真鷲、藤原小黒麻呂室、藤原長道室 |
妻 | 鳥取業俊の娘 |
子 | 豊沢、季雄、貞宗、春雄、秋雄、豊雄、宗雄、澤雄、山雄、藤原氏宗室 |
藤原 藤成(ふじわら の ふじなり)は、平安時代初期の貴族。藤原北家、左大臣・藤原魚名の五男。秀郷流藤原氏の祖。官位は従四位下・伊勢守。
経歴
[編集]弘仁2年(811年)播磨介に任ぜられ、弘仁4年(813年)移配させた夷俘に対する教化や、夷俘からの要請に対応するための専当官を兼ねる[1]。のち、播磨守・伊勢守と嵯峨朝においては主に地方官を務めた。この間、弘仁6年(815年)正五位下、弘仁8年(817年)従四位下と昇進した。
弘仁13年(822年)5月4日卒去。享年47。最終官位は伊勢守従四位下。
人物
[編集]吃音で流暢に話せなかった。内外の諸官を歴任したが、可もなく不可もなくといった様子であった[2]。
官歴
[編集]『日本後紀』による。
- 時期不詳:従五位上
- 弘仁2年(811年) 正月29日:播磨介
- 弘仁6年(815年) 正月7日:正五位下。7月2日:播磨守
- 弘仁8年(817年) 正月7日:従四位下
- 時期不詳:伊勢守
- 弘仁13年(822年) 5月4日:卒去(伊勢守従四位下)
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
- 父:藤原魚名
- 母:津守氏
- 妻:鳥取業俊の娘
- 生母不詳の子女
- 男子:藤原季雄(または秀雄)
- 男子:藤原貞宗
- 男子:藤原春雄
- 男子:藤原秋雄
- 男子:藤原豊雄
- 男子:藤原宗雄
- 男子:藤原澤雄
- 男子:藤原山雄
- 女子:藤原氏宗室