藤原今河
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時代 | 奈良時代後期 - 平安時代初期 |
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生誕 | 天平勝宝元年(749年) |
死没 | 弘仁5年7月24日(814年8月13日) |
別名 | 今川 |
官位 | 従四位上、左京大夫 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 藤原南家 |
父母 | 父:藤原巨勢麻呂、母:丹墀氏の娘 |
兄弟 | 黒麻呂、長川、弓主、真作、今河、河主、川合、真書、伊勢人、貞嗣、瀧麿、主後、広河 |
妻 | 藤原乙麻呂の娘 |
子 | 伊勢雄、真縄、縄槎、浄名 |
藤原 今河(ふじわら の いまがわ)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての貴族。名は今川とも記される。藤原南家、参議・藤原巨勢麻呂の子。官位は従四位上・左京大夫。
経歴
[編集]桓武朝の延暦6年(787年)従五位下に叙爵。延暦9年(790年)伊勢介次いで伊勢守、翌延暦10年(791年)美濃守と地方官を歴任する。その後、延暦16年(797年)従五位上、延暦23年(804年)正五位下と累進する。
平城朝の大同3年(808年)従四位下・越前守に叙任される。大同5年(810年)に発生した薬子の変での動静は伝わらないが、変を挟んで越前守を務めていたらしく、弘仁3年(812年)従四位上・左京大夫に叙任された際も引き続き越前守を兼帯している。弘仁5年(814年)7月24日卒去。享年66。最終官位は左京大夫従四位上。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 延暦6年(787年) 正月7日:従五位下
- 延暦9年(790年) 3月10日:伊勢介。7月24日:伊勢守
- 延暦10年(791年) 正月22日:美濃守
- 延暦16年(797年) 正月7日:従五位上
- 延暦23年(804年) 正月11日:正五位上
- 大同3年(808年) 正月25日:従四位下。5月28日:美濃守。6月25日:越前守
- 弘仁3年(812年) 正月7日:従四位上。2月10日:左京大夫(兼越前守)
- 弘仁5年(814年) 7月24日:卒去(左京大夫従四位上)
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。