コンテンツにスキップ

ポワティエのヒラリウス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポワティエのヒラリウス
14世紀に描かれた、ヒラリウスが叙任される場面
ラテン教父成聖者
他言語表記 ラテン語: Hilarius Pictaviensis
生誕 315年
ポワティエガリア
死没 368年
ポワティエ
崇敬する教派 カトリック教会
聖公会
ルーテル教会
正教会
非カルケドン派
記念日 1月13日(1月14日のところもある)
テンプレートを表示

ポワティエのヒラリウスラテン語: Hilarius Pictaviensis315年頃 - 368年[1])は、帝政ローマ末期のポワティエ司教主教[2][3]

ラテン教父の一人であり、カトリック教会聖公会ルーテル教会正教会非カルケドン派のいずれにおいても聖人とされている。

父なる神子なる神は本質を同じくする[4]としてアリウス派への論駁に果たした役割から、「西方のアタナシウス」と呼ばれた[2]。「三位一体について(至聖三者について)」はアリウス派を論駁した傑作として挙げられる[5]

一度ポワティエ司教(主教)となったヒラリウスであったが、アリウス派を支持していたコンスタンティウス2世によって召集されたベジエ教会会議で追放が決められ、一時はフリギアに流された。しかし361年にポワティエ司教に復位した。以後、367年(368年とも)に死去するまで、多くの著述を行った[6]

おもな著作

[編集]
  • 教会会議(シノドス)について
  • 三位一体論
  • 詩篇の注解[7]

脚注

[編集]
  1. ^ 没年について367年と記載するもの(Ancient Christian Commentary on Scripture)もあれば、他方こちらでは368年と記載している。
  2. ^ a b "Matthew 1-13: New Testament 1A (Ancient Christian Commentary on Scripture)" p303, Editors: Manlio Simonetti, Thomas C. Oden, Intervarsity Pr (2001/09), ISBN 9780830814862
  3. ^ 西ヨーロッパであるポワティエに教区をもっていたラテン教父であるため、カトリック教会の用語を基本的に用いたが、正教会至聖三者 ポワティエの聖ヒラリウス正教会)でも列聖されている聖人であるため、括弧内に正教会での用語を記している箇所がある。
  4. ^ "ὁμοούσιος"および"ὁμοιούσιος"の表現を巡る議論についてのヒラリウスの姿勢については、Weedmanorthodoxwikiの間で見解が微妙に分かれている。従ってここでは「同本質」「同質」(ὁμοούσιος)といった神学用語は避けた。
  5. ^ Greek Orthodox Archdiocese of Australia, WA
  6. ^ Hilary of Poitiers - OrthodoxWiki, CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: St. Hilary of Poitiers, Holy Martyrs Hermylos and Stratonikos. Our Father Among the Saints Hilary of Poitiers
  7. ^ ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第9巻/ポワティエのヒラリウス

参考文献

[編集]