須藤元気
基本情報 | |
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本名 | 須藤元気 |
通称 | 変幻自在のトリックスター |
階級 | ミドル級(HERO'S, K-1MAX) |
国籍 | 日本国 |
誕生日 | 1978年3月8日 |
出身地 | 日本国、東京都、江東区 |
スタイル | レスリング ブラジリアン柔術 |
プロ総合格闘技戦績 | |
総試合数 | |
勝ち | |
KO勝ち | |
一本勝ち | |
敗け |
須藤 元気(すどう げんき、1978年3月8日 - )は、日本の元格闘家である。東京都江東区出身。血液型はB型。身長175cm、体重73kg、バスト100cm、ウエスト75cm、ヒップ99cm。拓殖短期大学卒業。
ニックネームは、「変幻自在のトリックスター」。
経歴
格闘技のベースは関東第一高等学校時代に始めたレスリング グレコローマンスタイルで全国高校大会3位、1996年全日本ジュニアオリンピック優勝の実績を挙げている。
短大を卒業した1998年4月に渡米して、バス・ルッテンのビバリーヒルズ柔術クラブ(L.A)に所属し、アメリカの格闘技大会に出場して経験を積む。1999年の帰国後はパンクラスを主戦場として、この頃より凝った入場と格闘技の試合にプロレス技を繰り出すことで格闘技ファンの注目を集めた。パンクラスでは菊田早苗らともに格闘家チームGRABAKAの立ち上げメンバーとなるが、活動の範囲をさらに広げるべく、2000年12月に再渡米。
2001年に帰国してもパンクラスへ復帰することはなく、RINGSとUFCで試合を行なった。 UFCでは試合後に「We Are All One」と書かれた旗(各国の国旗が小さくプリントされているもの)を掲げる・または纏うことでも有名。毎回衣装やダンスに凝り、時にはカンフー着のままで試合をする等、入場から試合後まで、全時間をパフォーマンスとして捉えている(後述)。
総合格闘技が本職の須藤元気であるが、2002年から出場を始めた立ち技格闘技K-1 WORLD MAXで披露したトリッキーなファイティングスタイルが転機となり、お茶の間の人気を得た。
K-1 WORLD MAXでのデビュー戦は、2002年2月11日の日本代表決定トーナメント。第一試合は、日本キックボクシング界のエース的存在であった小比類巻貴之であったため、大方の予想は「須藤の秒殺負け」というものであった。しかし、この試合において、バックブローで1Rに小比類巻からまさかのダウンを奪う。結局、逆転KO負けを喫したが、この試合でその後の自らのサクセスストーリーを描くこととなる。ちなみにこの試合で決定打を放ったバックブローを使った動きは、かつてシュートボクシングで活躍していたマンソン・ギブソンや、ボクシング界の異端児であったナジーム・ハメドを参考にしたと本人が後日語っている。
以後はK-1系の総合格闘技イベントHERO'Sにも出場。試合中に相手選手にお尻を向け、怪しげな手と足の動きで歩み寄ったりすることが多いため、前田日明HERO'Sスーパーバイザーから、「トリッキーすぎる」と批判をされた事もあったが、須藤は「これが自分のスタイルです」とサラリとかわすなど、入場パフォーマンスを含めた自身のスタイルにこだわりを見せる。2006年現在は総合格闘技イベントHERO'S、K-1 PREMIUM Dynamite!!などK-1系の興行を主戦場に、CMや映画出演、雑誌への露出など芸能活動に活躍の幅を広げている。2003年8月4日には渋谷のコンビニエンスストアで立ち読みをしていたところを連続通り魔事件に巻き込まれ、話題になった事もあった。
2003年12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!にて、体重差110Kgのバター・ビーンに2Rヒールホールドで勝ち。
2004年5月22日K-1 MMA Championship ROMANEXでホイラー・グレイシーに1RKO勝ち。KO後、ホイラーに対し手を合わせ「グレイシー柔術」に対する敬意を露にした。
2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にて、山本"KID"徳郁と対戦し、KO負けを喫した。
2006年9月4日の有明コロシアムでのエステティックTBC K-1 WORLD MAX 2006~世界王者対抗戦~で“豪州のマシンガン”イアン・シャファーに右上段後ろ回し蹴りでダウン後レフリーストップで2R 0分59秒TKO負けを喫した。
2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!にて、アメリカ総合格闘技王者ジャクソン・ページと対戦、1R 3分5秒三角締めで一本勝ちを収める。そして試合後にリング上で突然の引退宣言をする。 だが、バックボーンであり慣れ親しんできた柔術のトレーニングは引退後もなお行っている。
タイトル
- UFC-JAPAN王者。なお、このタイトルはUFCに正式に認められたものではなく、活動を停止しているUFC-JAPANのリングで制定されたベルトである。前王者の山本喧一が個人的に保持していたものを、2001年12月21日にRINGSでタイトルマッチを行い奪取した。
- HERO'S ミドル級世界最強王者決定トーナメント準優勝
人物像
- リングネームは本名。父親がファンであった小山ゆうのボクシング漫画『がんばれ元気』が由来。
- レッド・ホット・チリ・ペッパーズを好み、背中にメンバーのアンソニー・キーディスのものと酷似したタトゥーが彫られている。
- PRIDE、修斗で活躍する五味隆典は「義兄弟の盃を交わした」盟友である。
- 精神世界にも傾倒し、素顔は礼儀正しく真面目な好青年である。いわく、前世は聖セバスチャンであるとのこと。四国八十八番札所を23日間かけて巡礼をしたこともある(本人はすべて徒歩による巡礼を希望したが、マネージャーからの反対もあり一部自転車を使用)。
- 選手入場時、エキストラを伴った演劇パフォーマンスにこだわりを持っていた。様々な演出表現を伴ってリングに上がってきていた。だがこだわりの演出でファンを楽しませる一方、「演出がくどすぎる、長すぎる」などの苦情もあり、評価が分かれる側面でもあった。一部のナショナリストからブーイングが飛ぶこともあった。なお、練習には18時間も費やし、ダンサーの人件費・衣装代等はK-1から一銭も出ていない。
- 格闘家の傍ら、俳優・モデル・歌手業もこなしていた。歌手活動のプロデュースは親交の深いACIDMANのメンバーが行なった。もともと学生時代にバンド活動やソロでライブを行っており、本人曰く格闘家にならなかったら歌手を目指したという。
- 初恋の人は「風の谷のナウシカ」のナウシカで、次に好きになったのが「魔女の宅急便」のキキ(2作目の本のタイトルは上記のナウシカを意識したタイトル)。大のアニメ好きであり、当時は二次元のキャラクターにしか興味が無かったと話す。
- 日本テレビ系列のTV番組「世界一受けたい授業」で、古武術研究家の甲野善紀に、うつ伏せの防御体勢(総合格闘技での基本防御の体制)の状態を『平蜘蛛返し』と云う技で簡単にひっくり返される。番組内では不思議そうな顔をしながら「もう一度良いですか?」と何度か挑戦するが結果は同じで、共演者から「めっちゃ弱く見えますよ」と冷やかされるが、甲野に対し熱心に技の質問をしている姿も映り、格闘技に対して研究熱心な部分をかい間みせた。
- 中学生の時、国防に興味を抱き、自衛官になるつもりでいた。自衛隊にも入隊希望の連絡をしたほどであったが、親の反対で断念し、高校に進学した。
- 『凶気の桜』で共演した窪塚洋介・RIKIYA、『フライ,ダディ,フライ』で共演したV6の岡田准一と親交がある。
趣味
- 読書(好きな作家は司馬遼太郎、村上春樹)
- 温泉
- 精神世界の勉強
- 書道(2006年には書道歴2年で日本最大の書道展である毎日書道展に入賞。初出展での入選で書道展関係者を驚かせた。)
- 将棋(相手の思考を読むため)
出演番組
- ナンバーワンTV火曜日(MUSIC ON! TV)
- オーラの泉、ゲスト出演(テレビ朝日)
- 笑っていいとも!、テレフォンショッキング ゲスト出演(フジテレビ)
- チューボーですよ!、ゲスト出演(TBS)
- 恋するハニカミ、井上和香と共演(TBS)
その他多数
ドラマ
映画
- 『凶気の桜』(窪塚洋介主演の邦画)
- 『フライ,ダディ,フライ』
- 『鳶がクルリと』
書籍
- 幸福論(2005/10、ネコ・パブリッシング)
- 風の谷のあの人と結婚する方法(2006/7、ベースボール・マガジン社) 10万部突破のベストセラー。
CD
- Love & Everything(2006年9月6日)東芝EMI
- Love&Everything(作詞:須藤元気、作曲:ACIDMAN)
- Mr.Tambourine Man(作詞:ボブ・ディラン 大木伸夫 須藤元気、作曲:ボブ・ディラン)