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長浜博之

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長浜 博之(ながはま ひろゆき、1946年9月19日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンター所属の調教師である。滋賀県出身(兵庫県生まれ)。中京商業高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)、中京大学卒業。父親は元調教師の長浜彦三郎。戸籍上は長濱博之

略歴

騎手であった父・彦三郎が中京競馬場所属厩舎に移籍したため、幼少時に愛知県豊明市に移住。博之は子供の頃から運動好きで、中学時代の担任の勧めで中京商業に進学し、当初は陸上部に所属。しかし同じグランドで練習していたラグビー部の様子を見て「ボールを持って走るほうが面白そう」との理由でラグビー部に転部した。そのまま大学もラグビーやりたさに中京大学に進学する(ラグビー部の特待生だった)。[1]

1969年に大学を卒業し、本人曰く「ラグビーばっかりやってて就職先がなかった」ため[1]、父の長浜彦三郎厩舎で厩務員となり、同年中に調教助手となる。その後父が65歳のときに肝臓がんに倒れたため本気で調教師として父の後を継ぐことを意識するようになり[1]1988年に調教師免許を取得し、厩舎を開業。初出走は同年8月20日小倉競馬第3競走のタニノカーカネットで5着。初勝利は同年9月17日阪神競馬第5競走のタニノカーカネットで、延べ14頭目であった。

1989年きさらぎ賞をナイスナイスナイスで制して重賞競走初勝利、翌1990年アグネスフローラ桜花賞を制してG1競走初勝利を挙げた。

長浜博之厩舎にとってアグネスレディー(1979年オークス馬)の血統は父であった長浜彦三郎から受け継いだゆかりの血統であった。レディーの娘であったアグネスフローラは桜花賞馬となり、その息子のアグネスフライトアグネスタキオンは3歳牡馬クラシックを制しており、三代に渡ってのクラシック制覇また兄弟クラシック制覇となった。

当時、長浜厩舎の主戦騎手だった河内洋(現調教師)にとってもレディー、フローラ、フライト、タキオン全てに騎乗しており、河内にとっても思い入れのある血統でもあった。また、アグネスタキオンは種牡馬でもすでにG1馬は輩出しており、その仔ダイワスカーレットは桜花賞を制しており、四代に渡ってのクラシック制覇となった。

上記のように元々高校・大学と体育会育ちということもあって、上下関係や礼儀には厳しいと自ら語っている。厩舎コメントを曲解した記事を載せたマスメディアに対し抗議・取材拒否を行うことも少なくないという[1]

主な管理馬

GI競走優勝馬
その他

表彰歴

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d 競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2008年10月号 pp.29 - 34