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長浜博之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長浜博之
2010年阪神牝馬S表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県
出生は兵庫県
生年月日 (1946-09-19) 1946年9月19日(78歳)
所属団体 JRA
初免許年 1988年
引退日 2017年2月28日
通算勝利 523勝
重賞勝利 34勝
G1級勝利 7勝
経歴
所属 長浜彦三郎/厩務員(1969)
長浜彦三郎/調教助手(1969 - 開業)
栗東T.C.(開業 - 2017)
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長浜 博之(ながはま ひろゆき、1946年9月19日 - )は、日本調教師。調教師引退まで日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた。中京商業高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)、中京大学卒業。父は調教師の長浜彦三郎。戸籍上は長濱博之

略歴

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騎手であった父・彦三郎が中京競馬場所属厩舎に移籍したため、幼少時に同競馬場がある愛知県豊明市に移住。博之は子供の頃から運動好きで、中学時代の担任の勧めで中京商業に進学し、当初は陸上部に所属。しかし同じグランドで練習していたラグビー部の様子を見て「ボールを持って走るほうが面白そう」との理由でラグビー部に転部した。そのまま大学もラグビーやりたさに中京大学に進学する(ラグビー部の特待生だった)。[1]

1969年に大学を卒業し、本人曰く「ラグビーばっかりやってて就職先がなかった」ため[1]、父の長浜彦三郎厩舎で厩務員となり、同年中に調教助手となる。その後父が65歳のときに肝臓がんに倒れたため本気で調教師として父の後を継ぐことを意識するようになり[1]1988年に調教師免許を取得し、8月に厩舎を開業。初出走は同年8月20日小倉競馬第3競走のタニノカーカネットで5着。初勝利は同年9月17日阪神競馬第5競走のタニノカーカネットで、延べ14頭目であった。

1989年きさらぎ賞をナイスナイスナイスで制して重賞競走初勝利、翌1990年アグネスフローラ桜花賞を制してG1競走初勝利を挙げた。

長浜厩舎にとってアグネスレディー(1979年オークス馬)の血統は父であった長浜彦三郎から受け継いだゆかりの血統であった。レディーの娘であったアグネスフローラは桜花賞馬となり、その息子のアグネスフライトは2000年の日本ダービーアグネスタキオンは2001年の皐月賞を制しており、三代に渡ってのクラシック制覇また兄弟クラシック制覇となった。

当時、長浜厩舎の主戦騎手だった河内洋(現調教師)はレディー、フローラ、フライト、タキオン全てに騎乗しており、河内にとっても思い入れのある血統でもあった。アグネスタキオンは種牡馬としても2009年に亡くなるまでにロジックダイワスカーレットキャプテントゥーレディープスカイリトルアマポーラレーヴディソールと6頭のG1馬を輩出し、ダイワスカーレットが2007年の桜花賞を制したことで四代に渡ってのクラシック制覇を達成した。

2010年、ビッグウィーク菊花賞を制し、クラシック三冠を達成した。

2017年2月28日付けで定年の為、調教師を引退した[2]

上記のように元々高校・大学と体育会育ちということもあって、上下関係や礼儀には厳しいと自ら語っている。厩舎コメントを曲解した記事を載せたマスメディアに対し抗議・取材拒否を行うことも少なくないという[1]

調教師成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1988年8月20日 3回小倉3日3R 3歳未勝利 タニノカーカネット 15頭 6 5着
初勝利 1988年9月17日 4回阪神3日5R 3歳未勝利 タニノカーカネット 14頭 3 1着
重賞初出走 1988年9月18日 4回阪神4日11R 朝日CC キングシリユース 14頭 10 13着
重賞初勝利 1989年2月12日 2回京都6日11R きさらぎ賞 ナイスナイスナイス 9頭 1 1着
GI初出走 1988年12月18日 5回阪神6日11R 阪神3歳S ナイスナイスナイス 7頭 3 3着
GI初勝利 1990年4月8日 3回阪神6日11R 桜花賞 アグネスフローラ 18頭 1 1着

主な管理馬

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GI競走優勝馬

太字はGI競走を示す。

その他重賞優勝馬

表彰歴

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d 競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2008年10月号 pp.29 - 34
  2. ^ 調教師4名、武 幸四郎・田中 博康騎手が引退 日本中央競馬会、2017年2月9日閲覧