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浜井信三

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浜井 信三(はまい しんぞう、1905年5月28日 - 1968年2月26日)は、日本の政治家広島市長(在任期間…1947年 - 1955年1959年 - 1967年渡辺忠雄市長を一期挟み通算四期市長を務めた)。濱井信三とも(胸像の銘文では濵井)。一貫して核兵器の全面禁止を訴え、広島の父、または原爆市長と称される。

広島平和都市建設法の成立に力を注ぎ、広島市中区中島町に平和を祈念する公園(広島平和記念公園)の建設、同じく市中心部への幅員100m道路(平和大通り)の建設を打ちだし、現在の広島市の街並みの基礎を造った。

略歴

12月、第2助役に就任。

エピソード

著作

長く絶版だったが、2006年5月、長男の手により復刻された(改定復刻版)。
  • 浜井信三追想録編集委『浜井信三追想録』1969年

関連項目

  • 原爆体験記 - 浜井市政のもとで編纂・公刊された市民による原爆体験記。