コンテンツにスキップ

高山哲哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。山陰地方 (会話 | 投稿記録) による 2020年11月9日 (月) 17:35個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

たかやま てつや
高山 哲哉
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 山口県宇部市
生年月日 (1973-08-30) 1973年8月30日(51歳)
最終学歴 早稲田大学卒業
勤務局 NHK名古屋放送局
部署 アナウンス
職歴 鳥取(1996.6 - 1999.8)→和歌山(1999.8 - 2002.3)→東京アナウンス室(2002.4 - 2009.3)→広島(2009.4 - 2013.3)→東京アナウンス室(2013.4 - 2016.3)→日本語センター出向(2016.4 - 2018.6)→東京アナウンス室(2018.6 -2020.3)→名古屋(2020.4 -)
活動期間 1996年 -
ジャンル 地域
公式サイト NHK
出演番組・活動
出演中 本文参照
出演経歴 本文参照
その他 広島放送局地上デジタル放送推進大使
備考
特になし

高山 哲哉(たかやま てつや、1973年8月30日 - )は、NHKアナウンサー山陰地方鳥取放送局でデビュー中部地方名古屋放送局勤務中。

人物

山口県宇部市出身。私立宇部鴻城高等学校を経て、早稲田大学文学部を卒業後、1996年(平成8年)4月に入局[1]

嗜好・挿話

  • 好きな食べ物は松葉ガニ。デビューの地、山陰地方鳥取の名物。
  • 私生活では、2015年4月時点で5歳と生後5か月の2児の父親である[2]
  • 職歴欄に年月が記される等、他のアナウンサーよりも詳しい。
  • NHK紅白歌合戦』関係も数多く担当した。詳細は脚注参照[3]
  • 広島放送局ではニュースワイドや討論番組のキャスターを中心に、『いのちのうた』など地域色の強い単発の音楽番組の司会も担当。地上デジタル推進大使として普及に務めたほか、ラジオバラエティーの番組パーソナリティーなど幅広く活動してきた。
  • 「テレビを見るのは1日1時間までで、チャンネル権は父が持つ」という家庭の中で、ラジオが楽しみの一つだった。テレビの音声が聞けるラジカセを使って、聴こえて来た『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』(KBCラジオ)にはまってリスナーになり、『PAO〜N』を頻繁に採り上げていた雑誌『ラジオパラダイス』もよく読んでいた[4]

出演

鳥取放送局時代
  • 鳥取のニュース
  • おはよう鳥取(キャスター:1996年度)
  • ニュースネットワークとっとり(キャスター:1997年度)
  • 因伯漫遊記(1998・1999年度)
和歌山放送局時代
  • 和歌山の中継等
  • BSジュニアのど自慢(司会:2000・2001年度)西日本担当
  • 天童よしみの人生劇場(司会:2001年度)
東京アナウンス室時代(1度目)
※リニューアル前の週刊お宝TV(2006年4月 - 12月)から引き続いて担当
広島放送局時代
東京アナウンス室時代(2度目)
日本語センター時代
東京アナウンス室時代(3度目) 
紅白歌合戦関連
単発・その他
※2010年制作のものはNHKデジタルのサイトで公開されている(厳密には番組ではない)。
名古屋放送局時代

脚注

  1. ^ NHK全国アナウンサー名鑑『NHKウィークリーステラ』
  2. ^ a b ““尾木ママ流”保護者会、テレビで開催 「親の悩みはいつの時代も変わらない」”. ORICON STYLE (オリコン). (2015年3月27日). http://www.oricon.co.jp/news/2050743/full/ 2015年3月30日閲覧。 
  3. ^ 転勤翌年暮れの『第54回NHK紅白歌合戦』では、先輩の阿部渉とのコンビで白組司会を男性局アナ最年少(当時30歳)で務めた。転勤直後から『爆笑オンエアバトル』の司会を担当していたこともあり、はなわテツandトモら“オンバト芸人”が登場するコーナーでは、後任司会の藤崎弘士(当日はラジオ実況担当)とともに盛り上げた。オーバーヒートし過ぎて、紅組司会だった先輩の有働由美子にたしなめられる結果となった。2005年は『第56回NHK紅白歌合戦』に向け、後に『オンバト』司会となった後輩の神田愛花(当時NHKアナウンサー)と期間限定のユニット「アイカとテツヤ」が結成され、紅白PR大使を務め主に西日本地区を回った。キャンペーンで使用されたデュエットソング「スキウタビバビバ」は高山自らが作詞した。東京を離れる前に担当していた若者向けのラジオ番組では、「てっちぃ」という愛称で親しまれたほか、2005年12月から2006年6月まで、読売新聞夕刊に『高山哲哉のPOWER喋る』というエッセーを連載していた
  4. ^ 『なつかしラジオ大全』(三才ブックス)180 - 181ページ。
  5. ^ つんく♂のインタビュー文を代読する形で出演。つんく♂は2014年に喉頭癌で声帯を摘出したため、自分の意志をパソコンに文字入力する形でインタビューに答えている 

外部リンク

先代
森下和哉
(2000年4月 - 2002年4月)
爆笑オンエアバトル司会者
高山哲哉
(2002年4月 - 2003年3月)
次代
藤崎弘士