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村上由利子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
むらかみ ゆりこ
村上 由利子
プロフィール
愛称 ゆりりん
出身地 日本の旗 日本 東京都府中市
生年月日 (1972-10-02) 1972年10月2日(52歳)
血液型 A型
最終学歴 北海道大学水産学部水産増殖学講座卒業
勤務局 NHK放送センター
部署 東京アナウンス室
職歴 山口(記者)→盛岡(アナウンサー)→東京アナウンス室→盛岡→ラジオセンター(ディレクター)→名古屋→東京アナウンス室
活動期間 1996年4月 - (記者)
2000年7月 - (アナウンサー)
2014年7月 - (ディレクター)
2018年4月 - (アナウンサー)
2024年8月 - (他部署)
配偶者 あり
出演番組・活動
出演中 関東地方のニュース
出演経歴 本文参照

村上 由利子(むらかみ ゆりこ、1972年10月2日 - )は、NHKアナウンサー。2014年7月から2018年春までラジオセンターディレクター

来歴

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東京都府中市出身。東京学芸大学教育学部附属高等学校から北海道大学水産学部へ進学した(なお、同学部の所在地は北海道函館市である)。水産学部で海藻染色体について研究した[1]。1996年3月には(藻類に関する学術雑誌の)『藻類』にも寄稿し[2]、日本藻類学会で(その内容の)発表も行なった。北大在学中は体育会女子バレーボール部に所属した。3年生だった1994年7月、第15代の『ミスはこだて』(函館)に1位で選ばれた[3]。1996年に同大学同学部を卒業した。

1996年、NHKに記者として入局した。初任地の山口放送局では県警担当・市政担当を務めた。その後、徳山報道室(現在の周南支局)へ異動した。当時管轄内で光市で母子殺人事件が発生し取材した。その後下関支局へ異動し、下関駅通り魔事件で中継リポートした。

2000年7月、盛岡放送局へ異動の際、アナウンサーに職種を変更した。『おばんですいわて』のキャスターを担当し、『ゆりこ’S BOX』のコーナーを持った。盛岡に関わりの深い著名人が中心となって行われる『盛岡文士劇』に毎年出演した。

東京アナウンス室異動後は『NHK週刊ニュース』など報道番組のキャスター『国会中継』『全国ニュース』など報道系とともに、西川貴教アンジャッシュらと『ポップジャム』、『きょうの料理』、夏木ゆたかと『BSカラオケ塾』の司会、また『小さな旅』の旅人などを担当した。一旦産休をとり、その後は『NHKニュースおはよう日本』などで子供の遊具をリポートし、同じ頃『伝説のギタリストたち』ではCHAR野村義男と共演し、『デジタルテレビライフがやってきた!』では渡辺いっけいと共演した。

東日本大震災発災4か月後の2011年7月、定期異動で再び盛岡放送局へ異動した。『お元気ですか日本列島』など震災関連のニュース、『がんばろう!いわて』パーソナリティを始め、テレビ、ラジオ、イベントなどを担当した。『あまちゃんファン感謝祭』『東北Zサンドウィッチマンのどうなってる?』の司会やキャスターなども務めた。

3年後の2014年7月、定期異動でラジオセンターのディレクターに転身した。毎週木曜日ラジオ第1放送『ごごラジ!』で15:00の - 16:00、お笑いコンビイワイガワ井川修司と『イワイガワ・井川とゆりりんの星の数ほどモノもうす』を担当した[注釈 1]。また毎月1回(木)同番組の「ごご4時好奇心きじまりゅうたのおとこめし部」コーナーも担当した。また月に一度は『出張イガユリ』と題して全国各地でイガユリコーナーのイベントを開催していた。

プライベート

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過去の担当番組

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盛岡放送局時代(1度目)(2000年7月 - 2002年度)
東京アナウンス室時代(1度目)(2003年度 - 2011年6月)
盛岡放送局時代(2度目)(2011年7月 - 2014年6月)
  • がんばろう!いわて(ラジオ第1 月19:45 - ) パーソナリティ
  • 東北Zサンドウィッチマンのどうなってる?(2013年 - 2014年)司会
  • あまちゃん ファン感謝祭(2013年)司会
  • お元気ですか日本列島 岩手のニュース
ラジオセンター時代(ディレクターとして)(2014年7月 - 2017年度)
名古屋放送局時代(2018年度 - 2022年6月)
東京アナウンス室時代(2度目)(2022年7月 - 2024年7月)

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし番組内では自身はアナウンサーと名乗っていた。

出典

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  1. ^ a b c NHK公式、アナウンサー検索[1]
  2. ^ 村上由利子「紅藻マギレソゾの減数分裂形態」『藻類』 44 (1), 56-56, 1996-03-10 [2]
  3. ^ なぜ函館市のミスコンだったかと言うと、北海道大学水産学部は函館市にあったため。
  4. ^ [3] 「最近は息子の要望に答え、駅や電車の車庫に行き、電車を一緒に眺めていることが多いです。」
  5. ^ a b [4] オンナnoミカタ
  6. ^ a b [5] ごごラジ!

外部リンク

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