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アキタ電子システムズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日立製作所 > 日立超LSIシステムズ > アキタ電子システムズ
株式会社アキタ電子システムズ
Akita Electronics Systems Co.,Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
010‐1231
設立 1969年4月1日 (55年前) (1969-04-01)
業種 電気機器
事業内容
代表者 吉田昌弘 (代表取締役)
資本金 ¥98百万
売上高 ¥1,510百万 (2013年度)
従業員数 225人 (2013年4月1日)
所有者 日立超LSIシステムズ
関係する人物 吉崎和夫
外部リンク http://www.akita-elec.co.jp/index.html
特記事項:2014年4月1日に日立超LSIシステムズに吸収合併にされて解散した
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アキタ電子システムズ(アキタでんしシステムズ、Akita Electronics Systems)は、かつて存在した電気機器製造会社である。LSI回路設計やソフトウェア設計開発を事業としていた。

詳細

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1969年4月1日日立製作所国際電気(現・日立国際電気)の出資アキタ電子として設立。最初に開設した「天王工場」はトランジスタバイポーラICおよびMOSメモリLSI生産拠点となっていた。1982年に建設された「雄和工場」は、DRAMの生産拠点となり、1991年にICやLSIおよびメモリモジュールやカードの生産も開始された。また、同社は1989年に「開発センター」[A 1]を建設してソフトウェアやLSIの設計にも事業を拡大している。

1996年に子会社であるアキタエレクトロデバイスを設立し、一時は従業員が1000人を超えて資本金も数億円規模であった。しかし、2001年には天王工場が閉鎖され、当社の製造部門は雄和工場に集約された。また、2002年には大規模再編およびアキタ電子システムズへの社名変更が行われ、同年の雄和工場のアキタセミコンダクタとしての子会社化[A 2]を経て、2006年には秋田エルピーダメモリへの雄和工場(LSI後工程事業)の譲渡が行われた。

その後、2001年の日立製作所による完全子会社化[R 1]を経て、2008年に「効率的な事業運営」や「一体運営」を目的に日立超LSIシステムズの子会社となり[R 2][R 3]、2014年4月1日には同社に吸収合併され解散した[R 4]

沿革

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  • 1969年昭和44年)4月1日 ‐ 日立製作所と国際電気の出資でアキタ電子として設立。天王工場にてトランジスタの生産を開始。
  • 1970年(昭和45年)‐ 天王工場にてバイポーラICの生産を開始。
  • 1978年(昭和53年)‐ 天王工場にてメモリの生産を開始。
  • 1982年(昭和57年)‐ 雄和工場が操業開始。雄和工場にてDRAMの生産を開始。
  • 1989年平成元年)‐ 開発センター[A 1]を開設。ソフトウェアやLSIの設計事業を開始。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月30日 ‐ 日立製作所の完全子会社となる[R 1]
    • 天王工場を閉鎖、開発センターへ本社機能を移転。
  • 2002年(平成14年)
    • 人員と設備の大規模削減。
    • 4月 ‐ アキタ電子システムズへ社名変更。雄和工場をアキタセミコンダクタとして子会社化[A 2]
  • 2004年(平成16年)4月 ‐ 日立製作所によるグループ経営への参画。
  • 2006年(平成18年)10月1日 ‐ 雄和工場(LSI後工程事業)を秋田エルピーダメモリへ譲渡(アキタセミコンダクタの順次縮小・廃止)。
  • 2008年(平成20年)3月31日 ‐ 日立超LSIシステムズの完全子会社となる[R 2][R 3]
  • 2014年(平成26年)4月1日 ‐ 日立超LSIシステムズに吸収合併され解散。

注釈

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  1. ^ a b 2001年から本社機能を持つ
  2. ^ a b アキタ電子システムズ自身は、ファブレス会社となって、設計とソフトウェア開発に特化した。

出典

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関連項目

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外部リンク

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