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グランドナショナル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グランドナショナル
Grand National Handicap Chase
2005年優勝馬ヘッジハンター
開催国 イギリスの旗イギリス
競馬場 エイントリー競馬場
創設 1839年2月26日
2023年の情報
距離 障害芝34ハロン(4マイル2ハロン74ヤード)
(約6,907メートル)
格付け PrH[注釈 1]
賞金 1着賞金50万ポンド
賞金総額100万ポンド[1]
出走条件 7歳以上
負担重量 ハンデキャップ
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グランドナショナルGrand National)とは毎年4月にイギリスリヴァプール郊外にあるエイントリー競馬場で行われる障害競走である。

概要

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距離は4マイルと2ハロンと74ヤード(約6,907メートル)、計16個設置されている障害を延べ30回飛越する。

イギリスでは最も人気のあるレースであり、馬券の売上額もダービーステークスチェルトナムゴールドカップを上回りイギリス国内最高を誇る。

ブックメーカーなどを含め、ベッティングに投じられた金額は、2007年で2.75億ポンド(約655億円)、2015年で3億ポンド(約540億円)に達すると推定されている。ロイターによると、2019年の売り上げは推定3億ポンド(約437億円)[2]である。年によっては世界一の馬券売上額を誇る日本有馬記念を上回ることもある。

この競走はグランドナショナルミーティングのメイン競走としてハンデキャップで行われる。

ほぼ毎年出走可能頭数の限界の40頭の出走馬を集めるが、年によっては完走頭数は10頭を切ることも珍しく無い事から世界一過酷な障害レースと言われている。

以前は発走の際スターティングバリアーの直後に整列していたが発走の遅延が絶えなかったため、2008年より他の競走同様にバリアー後方から整列せずにスタートを行う方式に変更されたが、2021年より再び発馬機を使用するスタートに変更された。

このレースに範を取った「グランドナショナル」という名の競走は世界各地で行われている。日本では伝統の障害重賞である中山大障害がこのレースに範を取ったものである。

2005年からはビール会社のジョン・スミスズ(John Smith's)がスポンサーとなっていたが、2014年に酒造会社のクラビーズ(Crabbie's)に代わり、さらに2017年からは、5年契約で化学検査会社のランドックス・ヘルス(Randox Health)がスポンサーとなった。

2017年現在の賞金総額は100万ポンドで[注釈 2]、障害競走としては世界最高の賞金額となっている。

出走馬は満7歳以上で、かつステープルチェイス競走で10勝以上の勝利があり、過去に3マイルのステープルチェイス競走で4着以内に入った実績を持つことが必要とされる(2012年より)。2011年までは年齢制限はなく、勝利数も「ハードル競走(en:Hurdling (horse race))を含めた障害競走で15勝以上」という基準だったが、同年のレースで2頭の馬がレース中に亡くなった事故を受けて、出走基準が厳格化された[3]

2022年まではグレード3[注釈 3]の重賞だったが、2023年からハンデキャップ重賞の「プレミアムハンデキャップ」の新設によりPrH重賞となっている。

コース

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コースの形状

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この競走ではエイントリー競馬場のナショナルコースという特別なコースを2周する。このコースは4月開催でトッパムチェイス、フォックスハンターズチェイス、グランドナショナルの3競走、11月開催でグランドセフトンチェイス、ビーチャーチェイスの5競走のみに使用される。1周2.25マイル(3,600メートル)の周回コースであり直線距離は494ヤード(451メートル)。全体として起伏は少なくほぼ平坦となっている。

障害の形状

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コース

グランドナショナルに使用される障害は英愛で一般的なものと異なり、トウヒの枝を組み合わせて作られている。全部で16の障害が設けられ、ザ・チェアと呼ばれる障害と水濠障害を除いて2度飛越することになる。6番目(22番目)及び7番目(23番目)、8番目(24番目)、9番目(25番目)、15番目の障害にはそれぞれ固有の名称が付いており順にビーチャーズブルック(Becher's Brook)、フォイネイボン(Foinavon)、キャナルターン(Canal Turn)、バレンタインズブルック(Valentine's Brook)、そしてザチェア(The Chair)である。

最難関とされるのはビーチャーズブルックである。障害は踏み切り地点より着地側が低くなっているため、バランスを取ることが難しく毎年複数の馬が落馬する。またザチェアは踏み切り地点の乾壕をもち、そして最も高い障害である。そしてキャナルターンとフォイネイボンについては、前者は着地後に直角に曲がるコーナーがあり後者もカーブの途中に設置されているため馬が内側に密集しやすく年によっては多重落馬が発生している。

2001年のレースではキャナルターンで空馬が障害の手前を横切り、多重落馬が発生する大事故が起こった[注釈 4][4]。これ以降、キャナルターンの障害右手に退避通路が設置され空馬がレースの馬群に混ざらないように配慮されている。

全障害の規模

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  • 第1・第17障害(THORN FENCE) 4フィート6インチ(約137センチメートル)
  • 第2・第18障害(FENCE) 4フィート7インチ(140センチメートル)
  • 第3・第19障害(WESTHEAD) 4フィート10インチ(147センチメートル) 飛越側に幅6フィート(182センチメートル)の乾壕
  • 第4・第20障害(PLAIN FENCE) 4フィート10インチ
  • 第5・第21障害(SPRUCE FENCE) 5フィート(152センチメートル)
  • 第6・第22障害(BECHER'S BROOK) 5フィート着地側は6フィート(213センチメートル)
  • 第7・第23障害(FOINAVON FENCE) 4フィート6インチ
  • 第8・第24障害(CANAL TURN) 5フィート
  • 第9・第25障害(VALENTINE'S BROOK) 5フィート
  • 第10・第26障害(THORN FENCE) 5フィート
  • 第11・第27障害(BOOTH) 5フィート 飛越側に幅6フィートの乾壕
  • 第12・第28障害(FENCE) 5フィート
  • 第13・第29障害(FENCE) 4フィート7インチ
  • 第14・第30障害(FENCE) 4フィート6インチ
  • 第15障害(THE CHAIR) 5フィート2インチ(157センチメートル) 飛越側に幅6フィートの乾壕
  • 第16障害(WATER JUNP) 2フィート9インチ(84センチメートル) 着地側に幅9フィート7インチ(297センチメートル)の水濠

障害の変遷

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グランドナショナルのコースは初期に石壁障害が水濠障害に変更され、その後も幾度か障害の形状、大きさに変更が加えられている。初期は天然の障害も使用していたため18インチ(約46センチメートル)の土塁など小規模なものも存在した。1885年の時点では最後の直線の3つの障害などで3フィート6インチ(約107センチメートル)のハードルを7基使用し計11回飛越を行っていたほか、現在では全障害の中で最も低い4フィート6インチ(約137センチメートル)のフォイネイボンが当時は5フィート6インチ(168センチメートル)と最も高い障害だった。

1888年にハードルがフェンスに置き換えられ、そして20世紀を過ぎると大幅な変更は行われなくなった。しかし1961年に危険すぎるとの批判を受け、障害に傾斜そして踏み切り板を設けるなどの安全対策が行われた。その後も何度か障害の形状に変更が加えられ、1990年にはビーチャーズブルックの着地側のスロープが埋め立てられた(これは、1989年にビーチャーズブルックで2頭が死亡したことによる)。このため、ビーチャーズブルックをはじめ多くの障害がその難易度を低下させている。

チェッカーフラッグ

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同じコースを2周するグランドナショナルだが2周目に入った際、1周目で多重落馬事故があり整理がつかない場所がある場合や故障した馬の処分をその場で行い、障害の飛越が危険であると判断された場合は障害前方で係員がチェッカーフラッグを振る。その場合は障害横の退避通路を通り、障害をパスする事が許される。2011年は2周目の20号障害・22号障害(ビーチャーズブルック)において故障馬が留まったため、ともにパスされている[5]

歴史

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グランドナショナルは1836年2月29日にリヴァプールのホテル経営者ウィリアム・リンによってリバプール・グランドナショナル・スティープルチェイスという名で創設された。1839年から回数カウントを始めているが実際は1836年から同等の競走が始まっており、1860年代半ばまでは公式記録として認められていた。かつて1836年から1838年までの3競走は以前はエイントリー競馬場以外で行われたと考えられていたが、現在はこれらもエイントリー競馬場で行われたことが判明している。

  • 1839年、コンラッドに騎乗したビーチャー大佐が1周目の小川で落馬し、その小川が「ビーチャーズブルック」と命名された。
  • 1844年、ハンデキャップ競走に改められる。
  • 1847年、現在のグランドナショナルに改名。
  • 1862年、グランドナショナルでは唯一となる騎手の死亡事故が発生した。
  • 1928年、キャナルターンで集団落馬が発生。出走馬42頭のなかで優勝馬ティペラリーティム(Tipperary Tim)のみが無事故で完走。そして2着に再騎乗のビリーバートンが入り、この2頭のみが完走した。
  • 1929年、前年の事故を受けキャナルターンの乾壕が取り除かれた。また前大会で全くの無名馬が優勝したため同年の競走は多数の出馬登録が行われ、グランドナショナル史上最多の66頭が出走した。完走は10頭。
  • 1956年の大会は競馬の歴史上でも最も不可解なレースの1つとして名高い。ディック・フランシス騎手が乗るクイーンマザー(エリザベス王太后)所有のデヴォンロック英語版は最終障害を大差でクリアーして楽勝するかと思われたが、残り50メートルに満たない地点で突然四肢を投げ出して座り込んでしまった。この際、特に故障などは何もなく直後に立ち上がっている。この事故が起こった場所は1周目に飛越した水濠障害のすぐ脇であり、この障害の影に驚いたのではないかと言われた。フランシス本人は大きな歓声に驚いてそのようになったと語っている[6][7]
  • 1964年、エイントリー競馬場の所有者のトッパム夫人が競馬場を売りに出すと宣言し、以来1973年にビル・デイビスが300万ポンドで購入するまで毎年が「最後のナショナル」と言われた。デイビスの所有時も経営はいま一つ安定せず1983年ジョッキークラブが340万ポンドで購入、これにより英国の競馬が続く限りグランドナショナルは存続することになった。
  • 1967年、馬群の先頭を走っていたカラ馬が23番目のフェンス直前で急にストップするというアクシデントのため後続の20頭以上の馬が落馬または立往生してしまい、先頭から50馬身近く離されていたフォイネイボン英語版だけがスムーズに追い越し、逆に後続に50馬身をつける独走態勢となる。結局そのまま後続を振り切って1着でゴールイン、101倍の配当となった[8]。なお、この23番目(1周目は7番目)のフェンスにはこの年の勝ち馬の名前である「フォイネイボン」の名がつけられている。
  • 1993年、スターティングバリヤーの白いテープがうまく跳ね上がらず発走やり直し、2度目も馬や騎手がテープに絡まりスターターはフォルススタートを宣言したが合図の赤旗が誰にも目撃されることなく39頭中30頭がスタート。2周目のスタンド前で再び赤旗が振られたが反対派の抗議と解釈した[9]多くの騎手はレースを続行し7頭が完走。J・ホワイト騎乗のエシャーネスが1位入線したが競走不成立により幻の優勝となった[10]。これにより1993年のグランドナショナルは中止となり、翌1994年からはスターティングバリヤーが手動式から電動式に変わるなど多くの改善がなされた。
  • 1997年、グランドナショナルの始まる1時間前にIRA暫定派を名乗る人物から競馬場に爆弾を仕掛けたとの電話があり、観客を競馬場から全員避難させ競走は中止となった。その2日後に改めてレースが行われた。調教師のジェニー・ピットマン英語版はこの事件に対し涙で抗議した[11]
  • 1998年、1周目の名物障害の1つであるビーチャーズブルックの前の障害で計3頭が死亡し、動物愛護団体が抗議行動を行った。
  • 2001年、1周目の名物障害の1つであるキャナルターンで空馬が障害の手前を横切り、多重が落馬する大事故があった。1着のレッドマローダーと2着のスマーティが無事故で完走。3着に再騎乗したブローイングウインド、4着に同じく再騎乗したパピヨンが入り、この4頭が完走した。4頭が完走するのは、1980年以来21年ぶり。
  • 2005年、152頭が1次登録し、最多記録を塗り替えた。
  • 2014年、出走馬のうち1頭がスタートを拒否しそのまま走る事なく競走中止するアクシデントが発生した。
  • 2023年動物愛護団体の活動家がコースに乱入するなどの妨害を行ったため、発走時刻が約15分遅れて118名が逮捕された[14]。なお、第2号障害から先に進めなかった馬は8頭と過去3年と比較しても明らかに多く[注釈 5]、発走時刻の遅れがレース序盤に影響を与えた可能性がある[注釈 6][15]

各種記録

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  • レースレコード - 8:47.8 ミスターフリスク(1990年)
  • 最多出走頭数 - 66頭(1929年)
  • 最多完走頭数 - 23頭(1984年)
  • 最少完走頭数 - 2頭(1928年)
  • 最多勝利馬 - レッドラム 3勝(1973、1974、1977年)
  • 最多勝利騎手 - ジョージ・スティーヴンス 5勝(1856、1863、1864、1869、1870年)
  • 最多勝利調教師 - フレッド・リメル(1956、1961、1970、1976年) ジンジャー・マッケイン(1973、1974、1977、2004年)各4勝
  • 最高齢勝利馬 - ピーターシンプル 15歳(1953年)
  • 最高齢勝利騎手 - ディック・サウンダーズ 48歳(1982年)
  • 最年少勝利騎手 - ブルース・ホッブズ 17歳(1938年)

歴代優勝馬

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施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
1836年2月29日 The Duke 騸7 20:10 M.Becher W.Sirdefield
1837年3月4日 The Duke 騸8 14:00 H.Potts T.Chawner
1838年3月5日 Sir William 牡7 A.McDonough A.McDonough

以下より公式大会として回数をカウント。

回数 施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1839年2月26日 Lottery 騸9 14:53 J.Mason G.Dockeray J.Elmore
第2回 1840年3月5日 Jerry 騸10 12:30 B.Bretherton G.Dockeray H.Villebois
第3回 1841年3月3日 Charity 騸11 13:25 A.Powell W.Vevers Lord Craven
第4回 1842年3月2日 Gay Lad 騸8 13:30 T.Olliver G.Dockeray J.Elmore
第5回 1843年3月1日 Vanguard 騸8 T.Olliver Lord Chesterfield
第6回 1844年2月28日 Discount 牡6 13:58 H.Crickmere Quartermaine
第7回 1845年3月5日 Cure All 騸7 10:47 W.Loft W.Loft W.Crawford
第8回 1846年3月4日 Pioneer 騸6 W.Taylor Adams
第9回 1847年3月3日 Matthew 騸9 D.Wynne J.Murphy J.Courtenay
第10回 1848年3月1日 Chandler 騸12 J.Little T.Eskrett J.Little
第11回 1849年2月28日 Peter Simple 騸11 10:56 T.Cunningham T.Cunningham T.Mason Jr.
第12回 1850年2月27日 Abd-el-Kader 騸8 10:20 C.Green J.Osborne Wilson
第13回 1851年2月26日 Abd-el-Kader 騸9 9:59 T.Abbot J.Osborne J.Osborne
第14回 1852年3月3日 Miss Mowbray 牝8 9:58 A.Goodman G.Dockeray T.Mason
第15回 1853年3月2日 Peter Simple 騸15 10:15 T.Oliver T.Oliver J.Little
第16回 1854年3月1日 Bourton 騸11 9:59 J.Tasker H.Wadlow W.Moseley
第17回 1855年3月7日 Wanderer 牡10 10:25 J.Hanlon Dennis
第18回 1856年3月7日 Freetrader 牡7 10:00 G.Stevens W.Holman W.Barnett
第19回 1857年3月4日 Emigrant 騸11 C.Boyce C.Boyce G.Hodgman
第20回 1858年3月6日 Little Charley 騸12 W.Archer W.Holman C.Capel
第21回 1859年3月8日 Half Caste 牡6 C.Green C.Green Willoughby
第22回 1860年3月7日 Anatis 牝10 T.Pickernell W.Holman C.Capel
第23回 1861年3月13日 Jealousy 牝7 J.Kendall C.Balchin J.Bennett
第24回 1862年3月12日 Huntsman 牡9 9:30 H.Lamplugh H.Lamplugh Viscount de Namur
第25回 1863年3月11日 Emblem 牝7 G.Stevens E.Weever Lord Coventry
第26回 1864年3月9日 Emblematic 牝6 G.Stevens E.Weever Lord Coventry
第27回 1865年3月8日 Alcibiade 騸5 H.Coventry C.Cornell B."Cherry" Angell
第28回 1866年3月7日 Salamander 騸7 A.Goodman J.Walters E.Studd
第29回 1867年3月6日 Cortolvin 騸8 J.Page H.Lamplugh Duke of Hamilton
第30回 1868年3月4日 The Lamb 牡6 G.Edwards B.Land Lord Poulett
第31回 1869年3月3日 The Colonel 牡6 G.Stevens R.Roberts J.Weyman
第32回 1870年3月9日 The Colonel 牡7 G.Stevens R.Roberts M.Evans
第33回 1871年3月21日 The Lamb 牡9 9:35 4/5 T.Pickernell C.Green Lord Poulett
第34回 1872年月日 Casse Tete 牝7 J.Page A.Cowley E.Brayley
第35回 1873年3月27日 Disturbance 牡6 J.Richardson J.Richardson J.Machell
第36回 1874年3月26日 Reugny 牡6 J.Richardson J.Richardson J.Machell
第37回 1875年3月18日 Pathfinder 騸8 T.Pickernell W.Reeves H.Bird
第38回 1876年3月24日 Regal 騸5 J.Cannon J.Jewitt J.Machell
第39回 1877年3月23日 Austerlitz 牡5 F.Hobson R.l'Anson F.Hobson
第40回 1878年3月29日 Shifnal 牡9 J.Jones J.Nightongall J.Nightongall
第41回 1879年3月28日 The Liberator 騸10 G.Moore J.Moore G.Moore
第42回 1880年3月19日 Empress 牝5 10:29 0/5 T.Beasley H.Linde P.Ducrot
第43回 1881年3月25日 Woodbrook 騸7 11:50 0/5 T.Beasley H.Linde T.Kirkwood
第44回 1882年3月24日 Seaman 騸6 Lord Manners J.Machell Lord Manners
第45回 1883年3月30日 Zoedone 牝6 C.Kinsky W.Jenkins C.Kinsky
第46回 1884年3月28日 Voluptuary 騸6 E.Wilson W.Wilson H.Boyd
第47回 1885年3月26日 Roquefort 騸6 10:10 0/5 E.Wilson A.Yates A.Cooper
第48回 1886年3月26日 Old Joe 騸7 9:14 3/5 T.Skelton G.Mulcaster A.Douglas
第49回 1887年3月25日 Gamecock 騸8 W.Daniels J.Gordon E.Jay
第50回 1888年3月23日 Playfair 騸7 G.Mawson T.Cannon E."Ned" Baird
第51回 1889年3月29日 Frigate 牝11 10:04 2/5 T.Beasley M.Maher M.Maher
第52回 1890年3月28日 Ilex 騸6 10:41 4/5 A.Nightingall J.Nightingall G.Masterman
第53回 1891年3月20日 Come Away 騸7 H.Beasley H.Beasley W.Jameson
第54回 1892年3月25日 Father O'Flynn 騸7 E.Owen G.Wilson G.Wilson
第55回 1893年3月24日 Cloister 騸9 B.Dollery A.Yates C.Duff
第56回 1894年3月30日 Why Not 騸13 A.Nightingall W.Moore C.Fenwick
第57回 1895年3月29日 Wild Man 騸7 J.Widger J.Gatland J.Widger
第58回 1896年3月27日 The Soarer 騸7 10:11 1/5 T.Kavanagh W.McAuliffe W.Hall-Walker
第59回 1897年3月26日 Manifesto 騸9 T.Kavanagh W.McAuliffe H.Dyas
第60回 1898年3月25日 Drogheda 騸6 J.Gourley R.Dawson C.Adams
第61回 1899年3月24日 Manifesto 騸11 G.Williamson W.Moore J.Bulteel
第62回 1900年3月30日 Ambush II 騸6 10:01 0/5 A.Anthony A.Anthony H R H Prince of Wales
第63回 1901年3月29日 Grudon 牡11 A.Nightingall B.Bletsoe B.Bletsoe
第64回 1902年3月21日 Shannon Lass 牝7 D.Read J.Hackett A.Gorham
第65回 1903年3月27日 Drumcree 騸9 10:09 2/5 P.Woodland C.Nugent J.Morrison
第66回 1904年3月25日 Moifaa 騸8 A.Birch W.Hickey S.Gollan
第67回 1905年3月31日 Kirkland 騸9 F.Mason E.Thomas F.Bibby
第68回 1906年3月30日 Ascetic's Silver 牡9 9:34 0/5 A.Hastings A.Hastings Prince F.Hatzfeldt
第69回 1907年3月22日 Eremon 騸7 9:47 1/5 A.Newey T.Coulthwaite S.Howard
第70回 1908年3月27日 Rubio 騸10 H.Bletsoe F.Withington F.Douglas-Pennant
第71回 1909年3月26日 Lutteur III 騸5 G.Parfrement H.Escott J.Hennessy
第72回 1910年3月18日 Jenkinstown 騸9 R.Chadwick T.Coulthwaite S.Howard
第73回 1911年3月24日 Glenside 騸9 10:35 0/5 J.Anthony R.H.Collis F.Bibby
第74回 1912年3月29日 Jerry M 騸9 E.Piggott R.Gore C.Assheton-Smith
第75回 1913年4月4日 Covertcoat 騸7 P.Woodland R.Gore C.Assheton-Smith
第76回 1914年3月27日 Sunloch 騸8 B.Smith T.Tyler T.Tyler
第77回 1915年3月26日 Ally Sloper 騸6 J.R.Anthony A.Hastings M.Nelson

※1916〜1918年は第一次世界大戦の影響でエイントリー競馬場戦争省に徴発されたことにより、施行場所をガトウィック競馬場に移し、「The Racecourse Association Steeplechase」(1916年)、「The War Steeplechase」(1917年〜1918年)と異なる競走名で行われた。

施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
1916年3月24日 Vermouth 騸6 J.Reardon J.Bell P.Heybourn
1917年3月21日 Ballymacad 騸10 E.Driscoll A.Hastings G.Bullough
1918年3月21日 Poethlyn 騸8 E.Piggott H.Escott Mrs. H.Peel
回数 施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第78回 1919年3月28日 Poethlyn 騸9 E.Piggott H.Escott H.Peel
第79回 1920年3月26日 Shaun Spadah 騸7 J.Anthony A.Anthony T.Gerrard
第80回 1921年3月18日 Althorp 騸10 F.Rees G.Poole M.McAlpine
第81回 1922年3月24日 Music Hall 騸9 L.Rees O.Anthony H.Kershaw
第82回 1923年3月23日 Sergeant Murphy 騸13 G.Bennet G.Blackwell S.Sanford
第83回 1924年3月28日 Master Robert 騸11 R.Trudgill A.Hastings Earl of Airlie
第84回 1925年3月27日 Double Chance 騸9 9:42 3/5 J.Wilson F.Archer D.Goold
F.Archer
第85回 1926年3月26日 Jackhorner 騸9 9:36 0/5 W.Watkinson H.Leader A.Schwartz
第86回 1927年3月25日 Sprig 騸10 T.Leader T.Leader M.Partridge
第87回 1928年3月20日 Tipperary Tim 騸10 W.Dutton J.Dodd H.Kenyon
第88回 1929年3月22日 Gregalach 騸7 9:47 3/5 R.Everett T.Leader M.Gemmell
第89回 1930年3月28日 Shaun Gollin 騸10 T.Cullinan F.Hartigan W.Midwood
第90回 1931年3月27日 Grakle 騸9 R.Lyall T.Coulthwaite C.Taylor
第91回 1932年3月18日 Forbra 騸7 T.Hamey T.Rimell W.Parsonage
第92回 1933年3月24日 Kellsboro' Jack 騸7 D.Williams I.Anthony F.Clark
第93回 1934年3月23日 Golden Miller 騸7 9:20 2/5 G.Wilson B.Briscoe D.Paget
第94回 1935年3月29日 Reynolds Town 騸8 F.Furlong N.Furlong N.Furlong
第95回 1936年3月27日 Reynolds Town 騸9 F.Walwyn N.Furlong N.Furlong
第96回 1937年3月19日 Royal Mail 騸8 E.Williams I.Anthony H.Thomas
第97回 1938年3月25日 Battleship 牡9 B.Hobbs R.Hobbs M.Scott
第98回 1939年3月24日 Workman 騸9 T.Hyde J.Ruttle A.Maguire
第99回 1940年4月5日 Bogskar 騸7 9:21 0/5 M.Jones Lord Stalbridge Lord Stalbridge
第100回 1946年月日 Lovely Cottage 騸9 B.Petre T.Rayson J.Morant
第101回 1947年3月29日 Caughoo 騸8 E.Dempsey H.McDowell J.McDowell
第102回 1948年3月20日 Sheila's Cottage 牝9 A.Thompson N.Crump J.Procter
第103回 1949年3月26日 Russian Hero 騸9 L.McMorrow G.Owen F.Williamson
第104回 1950年3月25日 Freebooter 騸9 9:23 3/5 J.Power B.Renton L.Brotherton
第105回 1951年4月7日 Nickel Coin 牝9 9:48 4/5 J.Bullock J.O'Donoghue J.Royle
第106回 1952年4月5日 Teal 騸10 9:20 3/5 A.Thompson N.Crump H.Lane
第107回 1953年3月28日 Early Mist 騸8 B.Marshall M.V.O'Brien J.Griffin
第108回 1954年3月27日 Royal Tan 騸10 9:32 4/5 B.Marshall M.V.O'Brien J.Griffin
第109回 1955年3月26日 Quare Times 騸9 P.Taaffe M.V.O'Brien W.Welman
第110回 1956年3月24日 E.S.B. 騸10 9:21 2/5 D.Dick F.Rimell L.Carver
第111回 1957年3月29日 Sundew 騸11 F.Winter F.Hudson G.Kohn
第112回 1958年3月29日 Mr What 騸8 A.Freeman T.Taaffe D.Coughlan
第113回 1959年3月21日 Oxo 騸8 M.Scudamore W.Stephenson J.Bigg
第114回 1960年3月26日 Merryman II 牡9 9:27 0/5 G.Scott N.Crump W.Wallace
第115回 1961年3月25日 Nicolaus Silver 騸9 9:22 0/5 H.Beasley F.Rimell C.Vaughan
第116回 1962年3月31日 Kilmore 騸12 9:50 0/5 F.Winter R.Price N.Cohen
第117回 1963年3月30日 Ayala 騸9 9:35 0/5 P.Buckley K.Piggott P.Raymond
第118回 1964年3月21日 Team Spirit 騸12 9:46 0/5 G.Robinson F.Walwyn J.Goodman
第119回 1965年3月27日 Jay Trump 騸8 9:31 4/5 T.Smith F.Winter M.Stephenson
第120回 1966年3月26日 Anglo 騸8 9:53 0/5 T.Norman F.Winter S.Levy
第121回 1967年4月8日 Foinavon 騸9 9:49 2/5 J.Buckingham J.Kempton C.Watkins
第122回 1968年3月30日 Red Alligator 騸9 9:29 0/5 B.Fletcher D.Smith J.Manners
第123回 1969年3月29日 Highland Wedding 騸12 9:29 4/5 E.Harty T.Balding T.McKoy Jr.
第124回 1970年4月4日 Gay Trip 騸8 9:38 0/5 P.Taaffe F.Rimell A.Chambers
第125回 1971年4月3日 Specify 騸9 9:34 1/5 J.Cook J.Sutcliffe F.Pontin
第126回 1972年4月8日 Well To Do 騸9 10:08 2/5 G.Thorner T.Forster T.Forster
第127回 1973年3月31日 Red Rum 騸8 9:01.9 B.Fletcher G.McCain N.le Mare
第128回 1974年3月30日 Red Rum 騸9 9:20.2 B.Fletcher G.McCain N.le Mare
第129回 1975年4月5日 L'Escargot 騸12 9:31.0 T.Carberry D.Moore R.Guest
第130回 1976年4月3日 Rag Trade 騸10 9:20.9 J.Burke F.Rimell P.Raymond
第131回 1977年4月2日 Red Rum 騸12 T.Stack G.McCain N.le Mare
第132回 1978年4月1日 Lucius 騸9 9:33.9 B.Davies G.Richards F.Whitaker
第133回 1979年3月31日 Rubstic 騸10 9:52.9 M.Barnes J.Leadbetter J.Douglas
第134回 1980年3月29日 Ben Nevis 騸12 10:17.4 C.Fenwick T.Forster R.Stewart Jr.
第135回 1981年4月4日 Aldaniti 騸11 9.47.2 B.Champion J.Gifford N.Embiricos
第136回 1982年4月3日 Grittar 騸9 9:12.6 C.Saunders F.Gilman F.Gilman
第137回 1983年4月9日 Corbiere 騸8 9:47.4 B.de Haan J.Pitman B.Burrough
第138回 1984年3月31日 Hallo Dandy 騸10 9:21.4 N.Doughty G.Richards R.Shaw
第139回 1985年3月30日 Last Suspect 騸11 9:42.7 H.Davies T.Forster A.of Westminster
第140回 1986年4月5日 West Tip 騸9 9:33.0 R.Dunwoody M.Oliver P.Luff
第141回 1987年4月4日 Maori Venture 騸11 9:19.3 S.Knight A.Turnell J.Joel
第142回 1988年4月9日 Rhyme'n'Reason 騸9 9:53.5 B.Powell D.Elsworth J.Reed
第143回 1989年4月8日 Little Polveir 騸12 10:06.9 J.Frost T.Balding E.Harvey
第144回 1990年4月7日 Mr Frisk 騸11 8:47.8 M.Armytage K.Bailey L.Duffey
第145回 1991年4月6日 Seagram 騸11 9:29.9 N.Hawke D.Barons E.Parker
第146回 1992年4月4日 Party Politics 騸8 9:06.4 C.Llewellyn N.Gaselee P.Thompson
第147回 1994年4月9日 Miinnehoma 騸11 10:18.8 R.Dunwoody M.Pipe F.Star
第148回 1995年4月8日 Royal Athlete 騸12 9:04.1 J.Titley J.Pitman G. & L. Johnson
第149回 1996年3月30日 Rough Quest 騸10 9:00.8 M.Fitzgerald T.Casey A.Wates
第150回 1997年4月7日 Lord Gyllene 騸9 9:05.9 A.Dobbin S.Brookshaw S.Clarke
第151回 1998年4月4日 Earth Summit 騸10 10:51.5 C.Llewellyn N.Twiston-Davies The Summit Partnership
第152回 1999年4月10日 Bobbyjo 騸9 9:14.1 T.Carberry T.Carberry B.Burke
第153回 2000年4月8日 Papillon 騸9 9:09.7 R.Walsh T.Walsh B.Morgan
第154回 2001年4月7日 Red Marauder 騸11 11:00.1 R.Guest N.Mason N.Mason
第155回 2002年4月6日 Bindaree 騸8 9:08.6 J.Culloty N.Twiston-Davies R.Mould
第156回 2003年4月5日 Monty's Pass 騸10 9:21.7 B.Geraghty J.Mangan Dee Racing Syndicate
第157回 2004年4月3日 Amberleigh House 騸12 9:20.3 G.Lee G.McCain Halewood International
第158回 2005年4月9日 Hedgehunter 騸9 9:20.8 R.Walsh W.Mullins T.Hemmings
第159回 2006年4月8日 Numbersixvalverde 騸10 9:41.0 N.Madden M.Brassil O.Carroll
第160回 2007年4月14日 Silver Birch 騸10 9:13.6 R.Powerl G.Elliott B.Walsh
第161回 2008年4月5日 Comply or Die 騸9 9:16.6 T.Murphy D.Pipe D.Johnson
第162回 2009年4月4日 Mon Mome 騸9 9:32.9 L.Treadwell V.Williams V.Bingham
第163回 2010年4月10日 Don't Push It 騸10 9:04.5 A.McCoy J.O'Neill J.McManus
第164回 2011年4月11日 Ballabriggs 騸10 9:01.2 J.Maguire D.McCain T.Hemmings
第165回 2012年4月14日 Neptune Collonges 騸11 9:05.1 D.Jacob P.Nicholls J.Hales
第166回 2013年4月6日 Auroras Encore 騸11 9:12.0 R.Mania S.Smith D.Pryde, J.Beaumont, D.van Der Hoeven
第167回 2014年4月5日 Pineau de Re 騸11 9:09.9 L.Aspell R.Newland J.Proven
第168回 2015年4月11日 Many Clouds 騸8 8:56.8 L.Aspell O.Sherwood T.Hemmings
第169回 2016年4月9日 Rule The World 騸9 9:29.0 D.Mullins M.Morris
第170回 2017年4月8日 One For Arthur 8 9:03.5 D.Fox L.Russell
第171回 2018年4月14日 Tiger Roll 騸8 9:40.1 D.Russell G.Elliott
第172回 2019年4月6日 Tiger Roll 騸9   D.Russell G.Elliott
第173回 2020年4月4日 新型コロナウイルスの影響で中止
第174回 2021年4月10日 Minella Times 騸8 9:15.42 R.Blackmore H.Bromhead J.P.McManus
第175回 2022年4月9日 Noble Yeats 騸7 9:03.6 S.Waley-Cohen E.Mullins
第176回 2023年4月15日 Corach Rambler 騸9 9:10.62 D.Fox L.Russell
第177回 2024年4月13日 I Am Maxiumus 騸8 9:27.68 P.Townend W.Mullins J.P.McManus
  • 競走名:1836年〜第4回 「The Grand Liverpool Steeplechase」、第5〜8回 「The Liverpool and National Steeplechase」

日本調教馬の参戦

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過去に1頭だけこの競走に参戦した競走馬がいる。日本の中山大障害を4勝したフジノオーである(1966年)。

日本の障害チャンピオンホースとして参戦したフジノオーには当時の規定により最重ハンデの76.2kgのハンデキャップが与えられた。これは、イギリスにおいて必要な競走数をこなしていないため規定により最も重いハンデが課せられた(チャンピオンホースにはハンデを軽くすることは失礼に値するという紳士的な考え方に基づくものという説もある)。なおフジノオーは15番目の障害で馬が飛越を拒否、競走中止となっている。

また日本人騎手として1995年には田中剛アイルランドのザコミッティ(The Committee)に騎乗、こちらも転倒により競走中止に終わった。

この他、グランドマーチスが挑戦する話があり一部新聞報道されたが計画が具体化する前に故障を発症して引退した。

バーチャルグランドナショナル

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バーチャルグランドナショナル(Virtual Grand National)とは2017年から毎年開催されているバーチャル版のグランドナショナルである。

歴代優勝馬

  • 2017:Cause of Causes
  • 2018:Tiger Roll
  • 2019:Rathvinden
  • 2020:Potters Corner
  • 2021:Cloth Cap

各国の「グランドナショナル」

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このグランドナショナルに倣って、各国でグランドナショナルの名称のつくあるいはそれに準じる競走が行われている。以下がその例である。

脚注

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注釈

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  1. ^ プレミアムハンデキャップの事。
  2. ^ イギリス障害競走で賞金総額第2位のチェルトナムゴールドカップは57万5,000ポンド。
  3. ^ イギリスの障害重賞は"group"でなく"grade"で表記される。
  4. ^ この落馬もあって1周目を終えた頃には僅か7頭のみとなり、2周目での更なる落馬の結果2頭のみが無事故で完走。他に2頭が落馬後再騎乗してゴールインし、計4頭が完走した。
  5. ^ 2019年2頭、2021年1頭、2022年2頭。
  6. ^ 第1障害で飛越に失敗して予後不良となったヒルシックスティーンを手掛けたサンディ・トムソン調教師は、発走が遅延している間にテンションが上がったと言い、抗議者たちの行動がヒルシックスティーンの競走歴初の飛越失敗の一員となったと感じた。

出典

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  1. ^ ICSC 014 International Cataloguing Standards Book GREAT BRITAIN JUMP RACES 2014年11月11日閲覧。
  2. ^ [1]
  3. ^ New minimum age set for Grand National runners in safety review - The Guardian・2011年11月2日
  4. ^ 2001 grand national HQ
  5. ^ John Smiths Grand National Chase 2011
  6. ^ 『ディック・フランシス読本』早川書房編集部編、早川書房、1992年 83-85頁
  7. ^ Devon Loch Grand National Disaster, 1956
  8. ^ Foinavon Wins Grand National after Huge Pile Up Causes Race Shambles(1967)
  9. ^ NHK世界の競馬 1997年 ドバイワールドカップ』04分20秒〜05分55秒
  10. ^ 1993 Grand National
  11. ^ NHK『世界の競馬 1997年 ドバイワールドカップ』00分54秒〜04分11秒、06分07秒〜06分20秒
  12. ^ 世界一有名な障害戦グランドナショナルが中止決定 日刊スポーツ極ウマ・プレミアム 2020年3月17日
  13. ^ レイチェル・ブラックモア騎手、女性で初めてグランドナショナル優勝(イギリス)[その他]”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2023年7月4日閲覧。
  14. ^ コーラックランブラーが優勝 動物愛護団体の妨害行為に大量逮捕者も/英グランドナショナル - 海外 | 競馬 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年7月4日閲覧。
  15. ^ グランドナショナルでの抗議行動に対し競馬界は断固とした態度が必要(イギリス)[開催・運営]”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2023年7月4日閲覧。

各回競走結果の出典

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外部リンク

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