ジミー・バリアント
ジミー・バリアント | |
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1983年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
"ハンサム" ジミー・バリアント "ブギウギ" ジミー・バリアント "キング" ジェームズ・バリアント ビッグ・ジム・ベイレン チャーリー・ブラウン |
本名 | ジェームズ・ハロルド・ファニング |
ニックネーム |
金髪の流血魔 ブギウギマン |
身長 | 190cm[1] - 192cm[2] |
体重 | 114kg[1] - 115kg[2] |
誕生日 | 1942年8月6日(82歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 テネシー州 ウィリアムソン郡フランクリン |
デビュー | 1964年 |
ジミー・バリアント(Jimmy Valiant、本名:James Harold Fanning、1942年8月6日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テネシー州フランクリン出身。
現役選手時代はヒールの "ハンサム" ジミー・バリアント("Handsome" Jimmy Valiant)、ベビーフェイスの "ブギウギ" ジミー・バリアント("Boogie Woogie" Jimmy Valiant)として活躍した[2]。
来歴
[編集]1964年にビッグ・ジム・ベイレン(Big Jim Vallen)のリングネームでデビュー。中西部やテキサスなど各地を転戦後、1970年代に入りジミー・バリアント(Jimmy Valiant)と改名[3]。1971年よりニューヨークのWWWFに登場し、ペドロ・モラレスのWWWF世界ヘビー級王座に再三挑戦した[4]。1972年6月にはキラー・コワルスキーとムース・ショーラックに次ぐ3番手外国人のポジションで日本プロレスに初来日している[5]。
1973年11月、ジョン・L・サリバンことジョニー・バリアントをパートナーに、金髪のヒール・タッグチーム「バリアント・ブラザーズ(The Valiant Brothers)」を結成[6]。翌1974年1月5日、インディアナポリスのWWAでブルーノ・サンマルチノ&ディック・ザ・ブルーザーからWWA世界タッグ王座を奪取[7]。シングルでも、カウボーイ・ボブ・エリスとWWA世界ヘビー級王座を争った[8]。WWWFではキャプテン・ルー・アルバーノをマネージャーに迎え、同年5月8日にディーン・ホー&トニー・ガレアを破りWWWF世界タッグ王座を獲得している[9]。
1976年5月にはバリアント・ブラザーズとして全日本プロレスに来日、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座およびグレート小鹿&大熊元司のアジア・タッグ王座の両タイトルに挑戦している[10]。以降もジョニーとのコンビで全米各地を転戦、WWAではボビー・ヒーナンのマネージメントのもと、世界タッグ王座を1977年と1978年にも獲得した[7]。
シングルでも数々の実績を残しており、テネシー州メンフィスに本拠を置くCWAでは1977年から1981年にかけて、AWA南部ヘビー級王座を巡ってジェリー・ローラーと流血の抗争を繰り広げた[11]。CWAでは一時的にフェイスターンも行い、ローラーやロッキー・ジョンソンのパートナーとなってタッグ戦線でも活躍。1978年5月29日にはローラーと組んでジョー・ルダック&ジャン・ルイから、1980年5月12日にはジョンソンと組んでデビッド・シュルツ&デニス・コンドリーから、AWA南部タッグ王座をそれぞれ奪取している[12]。この当時、彼は『ハンサム・ジミーのバラッド(The Ballad of Handsome Jimmy)』という歌まで録音し、自分の入場曲に使用していた。ローラーの自著によると、CWAは是が非でもジミーをとどめておきたくて、メンフィスに彼の自宅を購入することまで提案したという。
1980年代に入るとバリアント兄弟を解散してシングルプレイヤーに専念。1981年はNWAミッドアトランティック地区にて英国出身のロード・アルフレッド・ヘイズをマネージャーに迎え、キング・ジェームズ・バリアント(King James Valiant)と名乗って王族ギミックのヒールを演じ[13]、デューイ・ロバートソン、ワフー・マクダニエル、リッキー・スティムボート、マスクド・スーパースターなどと対戦した[14]。
1982年よりブギウギマン(Boogie Woogie Man)をニックネームにコミカルなショーマン派ベビーフェイスへのギミック・チェンジを行い、南部を中心に各テリトリーで人気者となる。主戦場のミッドアトランティックではイワン・コロフやスーパースター・ビリー・グラハムなどWWWF時代のヒール仲間と抗争し、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座にも度々挑戦した[15]。1983年の下期には、ザ・グレート・カブキとのルーザー・リーブス・タウン・マッチに敗れたことを機に、チャーリー・ブラウン(Charlie Brown)なる覆面レスラーに一時変身[16]。同年11月24日にグリーンズボロ・コロシアムで開催されたスターケードの第1回大会では、カブキとの王座とマスクを賭けたTV選手権試合で勝利を収めている[17]。古巣のCWAでは1984年に、旧敵ジェリー・ローラーやランディ・サベージとタッグと組んで活躍した[18]。
1985年1月、ローラーとのコンビで全日本プロレスに9年ぶりの来日を果たす[19]。しかし、長州力らジャパンプロレス勢の参戦で日本人同士のハイスパート・レスリングが主流化していた当時の全日本マットでは、彼のショーマン・スタイルが受け入れられることはなく[20][21]、これが最後の来日となった。帰国後の2月21日にはメンフィスにてアイアン・マイク・シャープを破り、NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座を獲得している[22]。
以降、1980年代後半はNWAのジム・クロケット・プロモーションズに定着して、タリー・ブランチャード、アーン・アンダーソン、ポール・ジョーンズ、シャスカ・ワトレー、バロン・フォン・ラシクらと抗争を展開[23]。タッグではバグジー・マグローと組んで活動したが、両者のコンビは業界誌レスリング・オブザーバーにおいて、1987年の"Worst Tag Team" に選出された。
WCWへの移行期にNWAを離れ、1990年にメンフィスのUSWAでローラーとの抗争を再開。USWA統一世界ヘビー級王座を2回に渡って獲得している[24]。1993年にはカロライナ地区のインディー団体NWAにも参戦した。WWFとは1979年を最後に関係を絶っていたが、1996年にジョニーとのバリアント・ブラザーズとしてWWE殿堂に迎えられている(インダクターは当時のWWF世界タッグ王者だったブリティッシュ・ブルドッグとオーエン・ハート)[25]。
引退後はバージニア州ショーズビルにてプロレスリング・スクールの "Boogie's Wrestling Camp" を主宰[26]。"The Boogie Woogie Referee" と称し、各地のインディー団体にスペシャル・ゲスト・レフェリーとして登場することもあった[1]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- WWA世界ヘビー級王座(インディアナポリス版):1回[8]
- WWA世界タッグ王座(インディアナポリス版):3回(w / ジョニー・バリアント)[7]
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):1回(w / ジョニー・バリアント)[27]
- NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / ジョニー・バリアント)[29]
- NWA TV王座(ミッドアトランティック版):2回[30]
- NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座 :1回[22]
- NWA南部ヘビー級王座(ミッドアメリカ版):1回[11]
- AWA南部ヘビー級王座:5回[11]
- AWA南部タッグ王座:2回(w /ジェリー・ローラー、 ロッキー・ジョンソン)[12]
- WWWF世界タッグ王座:1回(w / ジョニー・バリアント)[9]
- WWE殿堂:1996年度(ジョニーとのバリアント・ブラザーズで殿堂入り)[25]
脚注
[編集]- ^ a b c “Jimmy Valiant”. Online World of Wrestling. 2010年2月3日閲覧。
- ^ a b c 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P42(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “Jimmy Valiant”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1971”. The History of WWE. 2014年12月31日閲覧。
- ^ “JWA 1972 Golden Series II”. Puroresu.com. 2018年4月5日閲覧。
- ^ “Jimmy Valiant and Johnny Valiant”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ a b c “WWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ a b “WWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ a b “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Jimmy Valiant in 1976”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ a b c “NWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ a b “AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ “The Jimmy Valiant Interviews”. Mid-Atlantic Gateway. 2010年11月14日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Jimmy Valiant in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ “Jimmy Valiant vs. Ric Flair”. Wrestlingdata.com. 2023年10月29日閲覧。
- ^ 『"東洋の神秘" ザ・グレート・カブキ自伝』P152(2014年、辰巳出版、ISBN 4777813932)
- ^ “NWA Starrcade 1983 - "A Flare For The Gold"”. Cagematch.net. 2014年12月31日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Jimmy Valiant in 1984”. Wrestlingdata.com. 2023年10月29日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Jimmy Valiant in 1985”. Wrestlingdata.com. 2023年10月29日閲覧。
- ^ 『ピュア・ダイナマイト - ダイナマイト・キッド自伝』P136-137(2001年、エンターブレイン、ISBN 4757706391)
- ^ 『プロレスアルバム55 スーパー・タッグ Now!』P51(1985年、恒文社)
- ^ a b “NWA Mid-America Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Jimmy Valiant in 1986”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ a b “USWA Unified World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ a b “The Valiant Brothers”. WWE.com. 2024年6月15日閲覧。
- ^ “Up Close with Jimmy "Boogie Woogie Man" Valiant”. Mid-Atlantic Gateway. 2020年10月29日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ “NWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ “NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ “NWA Mid-Atlantic Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年10月29日閲覧。
- ^ “USWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月31日閲覧。