ジャック・シャーキー
基本情報 | |
---|---|
本名 | Joseph Paul Zukauskas |
通称 | ボストン・ゴブ |
階級 | ヘビー級 |
身長 | 183cm |
リーチ | 183cm |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1902年10月6日 |
出身地 | ニューヨーク州、アメリカ合衆国 |
死没日 | 1994年8月17日(91歳没) |
死没地 | マサチューセッツ州、アメリカ合衆国 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 55 |
勝ち | 37 |
KO勝ち | 13 |
敗け | 13 |
引き分け | 3 |
無効試合 | 0 |
ジャック・シャーキー(Jack Sharkey、1902年10月6日 - 1994年8月17日)は、リトアニア系の男性プロボクサー。元ボクシング世界ヘビー級王者。
人物
[編集]プロボクサーや俳優など注目を集める職業の人物がみなアメリカ風の偽名を使う時代に生まれ、本名Joseph Paul Zukauskasは、アイルランドの英雄で後に殿堂入りすることになるボクサーであるトム・シャーキーの姓を使うことにした。
1929年、ヤンキースタジアムで行われた試合で、前のライトヘビー級チャンピオンだったトミー・ローランを破ってアメリカ合衆国ヘビー級チャンピオンの座についた。この勝利によってシャーキーは、空位の世界王座を巡ってドイツ人の世界ランカーであるマックス・シュメリングと戦う権利を得た。1930年6月12日に行われた世界戦では、第4ラウンドにシャーキーの放ったパンチがローブローとなり、試合続行が不可能となって失格負けになった。ヘビー級の世界戦で失格により勝負が決したのはこれが唯一のケースである。
1931年10月、シャーキーはイタリア人のプリモ・カルネラを倒し、2度目の世界へのチャンスを得た。1932年6月21日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでシャーキーは議論を呼ぶ微妙な判定でマックス・シュメリングを破り、ヘビー級王座に就いた。
その後、1933年6月29日にプリモ・カルネラとの再戦で王座を失った。
1994年には国際ボクシング名誉の殿堂博物館に収められることが決まったが、その年の8月17日、呼吸停止により世を去った[1]。91歳没。
備考
[編集]漫画「ジャイアント台風」(原作:高森朝雄、作画:辻なおき)にて、プロレスラー:ジャイアント馬場がプリモ・カルネラと対戦するときのエピソードで、シャーキーがカルネラのパンチをくらって失神し、その直後に死亡したとされているのは作品上での架空の出来事である。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ Jack Sharkey, Boxing Champion, Dies at 91 New York Times August 19, 1994
外部リンク
[編集]空位 前タイトル保持者 ジーン・タニー |
第11代世界ヘビー級王者 1929年9月26日 - 1930年6月12日 |
次王者 マックス・シュメリング |
前王者 マックス・シュメリング |
第13代世界ヘビー級王者 1932年6月21日 - 1933年6月29日 |
次王者 プリモ・カルネラ |