プロジェクト・フラ
プロジェクト・フラ[1] Project Hula[2] (Operation Hula[3]) | |
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1942年、アラスカ準州コールドベイのランドール基地(Fort Randall)。 1945年にプロジェクト・フラがここで実施された。 | |
場所 | アメリカ合衆国アラスカ準州コールドベイ |
年月日 | 1945年4月16日[4]-1945年9月17日[5] |
プロジェクト・フラ(英語: Project Hula)は、太平洋戦争末期、ソ連対日参戦に備えてアメリカ合衆国(米国)とソビエト連邦(ソ連)とが合同で実施した極秘軍事作戦である[1][6]。
概要
[編集]1945年5月から9月にわたって、米国はソ連に対し掃海艇55隻・上陸用舟艇30隻・護衛艦(タコマ級フリゲート)28隻など計145隻の艦船を無償貸与[1]。この時期、アラスカ準州コールドベイのアメリカ軍(米軍)基地に米軍スタッフ約1500人が常駐、ソ連兵約12000人が集められ艦船やレーダーなどの習熟訓練が施された[1][6]。
1943年に建造された哨戒フリゲートのアレンタウンの場合、1945年4月7日この作戦に投入されることになり、6月7日コールドベイに向かった[3]。7月12日レンドリース法によりソ連海軍に引き渡され、ЭК-9(エーカー・ジェーヴィチ)と命名された[注釈 1][3]。
貸与された艦船は樺太南部や千島列島への侵攻で使用された[1]。
ジャーナリストの粟野仁雄は、「事実は北海道新聞の報道後、釧路新聞と根室新聞が報じたが、全国紙は無視した。(中略)現代史の中で語られる出来事は、今の政治に直結しているケースが多いため、こうしたことは多い。日露首脳会談のときだけ賑やかになる北方領土問題も、その実、4島をめぐる現代史の根本事実すら国民には知らされていない」と発言している[7]。
国際ジャーナリストの高橋浩祐も、「このプロジェクト・フラは日本の近現代史に多大な影響を与えてきた重要な史実だ。しかし、戦後長らく歴史に埋もれてきたためか、日本では今もよく知られていない」「難局に対する処方箋(しょほうせん)は歴史だ。にもかかわらず、プロジェクト・フラという史実は日本であまり知られてこなかった。インテリジェンスの情報収集や分析判断を含め、日本という国家のあり方を、今もなお改めて問うているように思えて仕方がない」と指摘している[8]。
参考文献
[編集]- Project Hula: Secret Soviet-American Cooperation in the War Against Japan ” (PDF). Washington, D.C.: Naval Historical Center. 2017年12月31日閲覧。ISBN 0-945274-35-1 Russell, Richard A. (1997年). “
- イーゴリ・サマリン「1945年8月のサハリンとクリール諸島上陸作戦に参加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト」『サハリン郷土州博物館紀要No.3』、2011年3月[1][6]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f “ソ連の北方四島占領、米が援助 極秘に艦船貸与し訓練も”. 北海道新聞 (2017年12月30日). 2021年9月26日閲覧。
- ^ Russell1997
- ^ a b c History's Headlines: The USS Allentown”. WFMZ-TV. 2018年1月9日閲覧。 Frank Whelan (2017年8月26日). “
- ^ Russell1997, p.17
- ^ Russell1997, p.35
- ^ a b c “ことば プロジェクト・フラ”. 毎日新聞 (2017年12月31日). 2017年12月31日閲覧。
- ^ “北方領土「日本人が知らない」真実、占領の黒幕・返還交渉の矛盾…”. 週刊ダイヤモンド (2019.4.26 5:08). 2021年9月26日閲覧。
- ^ “実は米国が軍事支援したソ連の北方4島占領 米ソの極秘作戦「プロジェクト・フラ」開始から今日で78年”. 高橋浩祐. Yahoo!ニュース. 2023年7月20日閲覧。