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ボストニアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ボストニアン


ボストニアン
第20回東京優駿(1953年5月24日)
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1950年5月13日
死没 1967年9月3日
セフト
神正
母の父 ダイオライト
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 ヤシマ牧場
馬主 岡本治一
調教師 増本勇京都
競走成績
生涯成績 28戦16勝
獲得賞金 849万1700円
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ボストニアン日本競走馬1953年皐月賞東京優駿(日本ダービー)に優勝し二冠を達成した。名種牡馬セフトの最終世代の産駒である。

戦跡

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7番人気の低評価で皐月賞を制すと、この年新設されたNHK杯にも勝ち東京優駿に出走。この年の東京優駿は33頭が出走(確定出走頭数は35頭で、当日2頭取り消した)する史上最多頭数で行われ、その中の3頭が落馬するという大混戦となった。この中で1番人気に押されたボストニアンは直線鋭く追い込みダイサンホウシユウ以下に2馬身の差をつけ優勝した。

春に二冠を制したことでセントライト以来12年ぶりとなる三冠に挑戦する。10月に復帰するとまずオープンを3連勝。この3連戦で皐月賞2着馬ハクリヨウ、東京優駿2着馬ダイサンホウシユウを易々と降し三冠達成に死角はないと思われていたが、ハクリヨウは菊花賞に向けて急激に力をつけてきており3馬身半差敗れ三冠はならなかった。

翌1954年は、鳴尾記念(秋)と阪神記念をレコードで制すなどそこそこの活躍を見せたが、天皇賞(春)でライバル・ハクリヨウに再び敗れ、この年を最後に引退した。

引退後

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引退後は種牡馬となり、セフトの後継種牡馬として人気を集めるも、全くと言ってよいほど活躍馬を出せず失敗に終わった。しかしながら後に名牝系を築くアサマユリ(同馬はメジロマックイーンの曾祖母にあたる)の父となるなど、母系に入っては複数の活躍馬を送り出した。

主な産駒

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血統表

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ボストニアン血統ヘロド系 / Symington4×4=12.50%、Ayrshire5・5×5=9.38%、Sierra・Sainfoin5×5=6.25%) (血統表の出典)

*セフト
Theft
1932 鹿毛
父の父
Tetratema
1917 芦毛
The Tetrarch Roi Herode
Vahren
Scotch Gift Symington
Maund
父の母
Voleuse
1920 鹿毛
Volta Valence
Agnes Velasques
Sun Worship Sundridge
Doctorine

神正
1938 栗毛
*ダイオライト
Diolite
1927 黒鹿毛
Diophon Grand Parade
Donnetta
Needle Rock Rock Sand
Needlepoint
母の母
*種正
Young Man's Fancy
1920 鹿毛
Junior Symington
Scylla
Enthusiast's Last Enthusiast
Myrrha F-No.5-h

外部リンク

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