七毫源氏
七毫源氏(しちごうげんじ)は、源氏物語の写本の一つである。
概要
[編集]おおむね南北朝時代の成立と見られる河内本系統の本文を持つ代表的な源氏物語の写本の一つであり、現在この写本は東山文庫に所蔵されているため「東山文庫本(源氏物語)」などとも呼ばれるが、同文庫にはこの「七毫源氏」以外にも本写本と同じく複数の筆者による河内本系統の本文を持つ(一部別本の巻を含む)「御物本」や「各筆源氏」などとも呼ばれる源氏物語の写本も存在するために、それぞれ「東山文庫蔵各筆源氏」および「東山文庫蔵七毫源氏」と呼び分けたりしている。本写本はもともとは54帖すべてが揃った写本であったと見られるが、現存するのは桐壺、花宴、朝顔、初音、常夏、藤袴、若菜上、柏木、鈴虫、匂宮を除く四十四帖のみである。
注釈
[編集]本写本はさまざまに注釈が書き加えられていることを特色としている。ところどころに河海抄を引く注記があるほか、源氏釈や現在は散逸した水原抄から引いたとする注記もある。そのほか藤原俊成、藤原定家、藤原為家らの説について触れた注釈も存在する。
帚木に描かれる著名な場面である「雨夜の品定め」の時点での光源氏の年齢について、現在一般に使用されている本居宣長がまとめた新年立では17歳、それ以前によく使われていた一条兼良がまとめた年立(「旧年立」)では16歳となるが本写本の帚木巻末の注記では15歳説や19歳説という他に類を見ない説を記している。
伝承筆者
[編集]本写本の「七毫(源氏)」の呼び名は現在は失われてしまった巻を含めて以下の7人によって書写されたとされることに由来している。
- 後醍醐天皇 正応元年11月2日(1288年11月26日) - 延元4年/暦応2年8月16日(1339年9月19日)
- 足利尊氏 嘉元3年(1305年) - 延文3年4月30日/正平13年(1358年6月7日)
- 二条為明 永仁3年(1295年)- 貞治3年/正平19年10月27日(1364年11月21日))
- 慶雲 ( - 1369年(応安2年))[1]
- 浄弁 生年不詳 - 延文元年/正平11年(1356年)頃?)
- 卜部兼好 弘安6年(1283年)頃か -文和元年/正平7年(1352年)以後)
- 頓阿 正応2年(1289年) - 文中元年/応安5年3月13日(1372年4月17日))
著者別の巻
[編集]- 後醍醐天皇の筆とされる巻
- 二条為明の筆とされる巻
- 足利尊氏の筆とされる巻
- 浄弁の筆とされる巻
- 慶雲の筆とされる巻
- 吉田兼好の筆とされる巻
- 頓阿の筆とされる巻
校本への採用
[編集]本写本は、現存する四十四帖すべてについて、校異源氏物語及び源氏物語大成校異編に河内本系の写本として校異がとられている。さらに河内本のみを対象とした校本である河内本源氏物語校異集成にもその校異がとられている。
参考文献
[編集]- 池田亀鑑「現存主要諸本の解説 東山御文庫蔵七毫源氏」『源氏物語大成 巻七 研究資料篇』中央公論社、pp.. 243-244。
- 大津有一「諸本解題 東山御文庫蔵七毫源氏」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂、p.143。