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上等兵

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上等水兵から転送)

上等兵(じょうとうへい)は、軍隊の階級の一つで、に区分され、伍長または兵長の下、一等兵の上に位置する。

日本陸軍

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概要

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大日本帝国陸軍では、1876年(明治9年)12月16日の陸軍武官表改訂により歩兵科と騎兵科に上等卒(じょうとうそつ[1])を設けてから[2] [3] [注釈 1] [注釈 2]1940年(昭和15年)9月13日勅令581号(9月15日施行)[10]により陸軍兵等級表を改正して兵長が設けられるまでの等級の最上位であった。初年兵にとって上等兵は「先輩」の中の優秀者とみなされていた。

上等兵になれる者は,同年兵の4分の1程度といわれる。伍長勤務上等兵になると、多くても中隊に3人程度である(歩兵中隊の場合、平時は二年兵・初年兵ともにそれぞれ約60名程度)。そのため全ての初年兵にとって、上等兵は憧れの地位であり、入営から4か月後(時代によるが昭和初期までは3か月)、第1期検閲終了後に発表される上等兵候補者の発表は、最大の関心事であった。満期除隊して民間の職場に復帰すると、上等兵ならば体力人格ともに優秀者とみなされ、在郷軍人会でも優遇される場合があった。農村の場合は、村の顔役が一席設けてくれるような存在であった。そのため、模範青年としてその後の仕事や嫁取りに良い影響をもたらした。

初年兵の中から選ばれた者が、上等兵候補者特別教育を受け、適任と認められた者が上等兵に進級した。上等兵への進級は、12月頃に行われる第1選抜から始まり、以降順次期間をあけて数次の選抜により決定されていく。真面目に勤務に精励していれば除隊と同時に形式的に上等兵になれる者もいた(これを営門上等兵と称した)。しかし兵隊仲間では在営年次がものをいい、たとえ上等兵であっても年次の浅い兵は万年一等兵の古年次兵には常に敬語を使い、時にはビンタをもらうことがあった。

上等兵の中でもさらに優秀な者は伍長勤務上等兵となり、下士官としての勤務についた。伍長勤務上等兵と一部の上等兵は除隊の際に下士官適任証書が交付され、再度応召した際には、下士官の欠員に応じて伍長に任官した。昭和初期までは、上等兵候補者に選ばれると、よほどのことがない限り満期除隊までには上等兵に進級した。しかし昭和10年代になると上等兵候補者の6〜7割程度しか上等兵になれなくなった。これはわざと候補者を増やし、落第者を多くすることにより候補者どうしを競争させ訓練成果をあげ、上等兵の権威を高める狙いがあった。上等兵候補者は起床ラッパの一時間前に起きて銃剣術の間稽古を義務づけられるなど、体力的にも、頭脳的にも過酷な教育がなされたのである。また内務班では古参一等兵からことある毎に「上等兵候補のくせに、そのざまは何だ」と睨まれた。

上等兵には部隊運営の最末端として様々な役割が命ぜられた。戦時には分隊長(代理)、平時には目端が利き真面目な者が内務班の初年兵掛(しょねんへいがかり)となり、めったに班内に顔をださない内務班長の代理として実際に初年兵の指導を行った。また能筆で算盤のできる者や学歴のある者は事務室の助手として事務に従事した。また腕に覚えのある者は教練の助手として教官(少中尉見習士官准士官)、助教(下士官)の手足となって初年兵を教育した。防災、防犯、風紀の取締まり、人員の確認などを行う週番上等兵などの勤務に交代で当った。

歩哨は一等兵には敬礼しなくても、上等兵には敬礼をしなければならなかった。

ちなみに、憲兵など最下級が上等兵である兵科も存在した。

伍長勤務上等兵

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伍長勤務上等兵は、1903年(明治36年)11月30日勅令第185号による陸軍補充条例の改正により第77条に設けたもので、兵でありながら下士官と同じ勤務に就いた[11]。たとえば週番下士官や将校集会所当番長などである。戦時であれば分隊長となる。総ての場合に於いて下士の勤務に服させるべき者であり待遇は一般上等兵と同様になるもののその上位に置くべきものとした[12]。なお伍長勤務上等兵と後年の兵長とを同一視する見方は間違いである。兵長には定員が無かったが、伍長勤務上等兵は中隊に2-3名と定員があった[注釈 3]。 この制度の起源は1899年(明治32年)に設けた長期下士、短期下士制度にさかのぼる[注釈 4]。当時は在営3年制で、2年兵の上等兵より抜擢して短期下士の伍長とし、3年目を下士官として勤務させ満期で除隊させた[14]。長期下士は下士候補生であって卒業試験に及第した者を以って補充した[14]。 その後、この制度は廃止されて伍長勤務上等兵制度となり、育成は下士官候補者制度に移行した[11]

伍長勤務制度の目的は、戦時に急増する部隊の下級下士官の代理を確保し、必要に応じて下級下士官へ登用できるようにすることであった。判任官であり兵より俸給も高く、定員があってしかも2年で使い捨てにできない下士官を平時に多数抱えることはできなかった。時代によっては下士官を希望するものが少なく必要な下士官が不足した。この不足を補うと同時にある程度の下士官勤務経験を積ませることによって、戦時に登用する下士官(予備下士官)の候補者を育成したのである。予備下士官の公式な登用制度は幹部候補生制度(昭和8年以降は乙種幹部候補生)であったが、学校教練合格や一定の学歴要件を必要とし、受験資格を持つものは多くなかった。陸軍は、伍長勤務という下士官勤務のOJTによって、幹部候補生を受験できない者にも予備下士官への道を開いていたといえる。

なお、ドイツのアドルフ・ヒトラーの最終階級であるGefreiter[注釈 5]は日本語では伍長と訳されることが多いが、実際の位置付けは日本陸軍の上等兵[注釈 6]に相当する。

伍長勤務上等兵になると、左の腕に赤と金モールの山形章を付ける。これを俗に金蝶じるしといい、軍隊俗謡などに「腕に金蝶ヒラヒラさせて、粋じゃないかよ 伍勤が通る」と歌われた。

あるいは、同じ兵の身分でありながら特別扱いをされる伍長勤務上等兵には同年兵からの嫉妬もあり、「生意気」と反発される事も多かったようである。

ナッチョラン節に「下士官のそば行きゃメンコ[注釈 7]臭い 伍長勤務は生意気で 粋な上等兵にャ金が無い 可愛い新兵さんにゃ 暇が無い」と歌われている。

1940年9月に兵長の階級が新設されるに伴い、伍長勤務上等兵制度は廃止となった。

下士官適任証書

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1887年(明治20年)2月15日陸達第21号により「下士適任証」を付与し始め[15]1931年(昭和6年)11月7日勅令270号(11月10日施行)により「下士」を「下士官」に改めた[16]ことから、「下士官適任証書」と称するようになった[注釈 8]。 下士官適任証書は伍長勤務上等兵だけに与えられたわけではなく、一部の上等兵にも授与された。 同様のものに、優秀な下士官に付与される士官適任証書もあった[18]

その他

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上等兵は陸軍士官学校予科を修了した士官候補生が、本科に入る前に隊付を経験する際に最初に与えられる階級でもあった。候補生は専用の部屋を割当てられる場合と、普通の内務班に入る場合とがあり、部隊・時代により異なる。将校にのみ与えられる当番兵が付くこともあった。

なお、隊付中の士官候補生は「兵の最先任」という位置付であったが、後に兵長の階級が出来、その辺りが少々ややこしくなったようである[注釈 9]

日本海軍

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大日本帝国海軍では、1942年の改正で従来の二等兵が改称されたものである[19]。 水兵長(旧一等水兵)の下で、一等水兵(旧三等水兵)の上に位置する。略称は上水。

上等水兵(旧二等水兵)までは一定年限の勤務により進級したが、水兵長(旧一等水兵)へは選抜進級であった。最短の1年での進級は10分の3以内となっていた[20]。 上位35%の枠はほとんどが術科学校の普通科練習生課程[注釈 10]を修了した優秀な志願兵で占められており、徴兵で進級することは難しかった。 志願兵の場合、事故が無ければ大方は上等水兵1年半(入営[注釈 11]より3年)で水兵長(旧一等水兵)に進級したが、このとき進級にもれ、入営より3年経過[注釈 12]しても水兵長になれず,善行章が一本ついてしまった上等水兵(旧二等水兵)は楽長と呼ばれ、下級者に恐れられた。

平時における進級に必要な期間(滞留期間) 兵の進級は資格を満たした5月1日および11月1日の最も近い月に実施される

  • 上等水兵より兵長 1年(〜35%) 1年半(〜70%) 2年(〜100% 2年を経過しても問題があれば進級しない)
  • 一等水兵より上等水兵 1年
  • 二等水兵より一等水兵 6か月(海兵団などでの教育期間は志願兵は5か月半、徴兵は4か月半)

自衛隊

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陸海空士長が兵に相当する士の最上級だが、満期除隊にまでほぼ必ず昇進するもので、上等兵とは位置付けが異なる。

各国の呼称

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上等兵に相当する階級に次のものがある。

  • アメリカ合衆国
    • 陸軍Private First Class(プライベート ファースト クラス)
    • 海軍Seaman
    • 海兵隊Lance Corporal(ランス コーポラル)
    • 空軍Airman First Class
    1967年までは、Airman Second Class だった。
  • イギリス
    • 海軍:Able Rate
    1999年4月1日に上等兵と一等兵が統合された。
    • 空軍:Leading Aircraftman
  • フランス
    • 陸軍、空軍:Caporal
    伍長と和訳されることがあるが、下士官ではなく兵である。
    • 海軍:Quartier maître (de 2e classe)
    • 国家憲兵Brigadier
  • ロシア
    • 陸軍:Ефрейтор
    • 海軍:Старший матрос
  • 中国
    • 陸軍、海軍、空軍:上等兵
  • 大韓民国
    • 兵役に就くと必ずこの級で満期除隊するため、各国軍と位置付けが異なる。

脚注

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注釈

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  1. ^ 1877年(明治10年)1月に歩兵・騎兵の両兵へ上等卒を置く[4]1883年(明治16年)2月20日に砲兵上等卒を設け[5]、同年5月10日の陸軍歩騎砲兵隊上等卒撰挙及教育仮規則によると、上等卒は歩騎砲三兵隊に在って分隊長・鍬兵長及び照準手等の職務を務めるものとしていた[6]
  2. ^ 1885年(明治18年)5月20日達乙第65号により同年7月より上等卒の名称を上等兵に換える[7]。 また、1885年(明治18年)5月29日陸軍省達乙第69号達により工兵・輜重兵に上等兵を置き[8]。 1885年(明治18年)9月18日陸軍省達乙第128号達により陸軍軍楽隊に楽手補を置き上等兵相当とした[9]
  3. ^ 定員は固定されたものではなく、下士官に欠員ができた時に伍長勤務を優秀な上等兵に命じたから、年度により各部隊に於ける伍長勤務の数は変動した。
  4. ^ 下士制度を改正し1年服役の短期下士と長期下士を設けたことから、短期下士に伍長の官名を用いて平時は軍曹に進級させないことにして、長期下士は初任は伍長として軍曹に進級させることにした。また火工下士は廃止して砲兵長期下士の分課とした[13]
  5. ^ 上位にObergefreiter。WW2までは兵分隊長制度があり下士官が不足する場合には適宜分隊長を勤めた。戦後はOR4〜OR2に位置づけられている。OR4(Oberstabsgefreiter、Hauptstasgefreiter)は国により下士官に区分されるがドイツでは全てenlisted (兵)の身分である。詳細はen:Gefreiter
  6. ^ 司令部勤務をしていたことから敬意を込めて伍長勤務上等兵と紹介された。日本の伍長勤務上等兵と異なり下士官勤務を行ったわけではない。正しくは司令部勤務(伝令)の上等兵であった。
  7. ^ 旧日本軍において、飯を盛る器(飯盒のふた部分)のことをメンコと呼んでいた。「軍隊用語で飯盒のことを“メンコ”というが、語源はなにか?」(昭和女子大学図書館 ) - レファレンス協同データベース
  8. ^ 昭和7年7月の「下士官の優遇及志願の心得」には下士官適任証とある[17]
  9. ^ 作家村上兵衛が士官候補生として近衛歩兵第1連隊に隊付をした最初の晩の日夕点呼後に、村上が所属することとなった内務班の古兵たちが初年兵たちに説教をし、私的制裁を加え始めたが、士官候補生たちはこの「リンチ」を止めるに止めることができずにいた。村上は後年、著書『桜と剣』の中で「二年兵のなかの兵長も、説教側に加わっているとすると、この“上級者”を止める権限が、自分にあるかどうかは疑わしかった」と述懐している。
  10. ^ 受験資格は海軍兵となって1年以上(志願兵は海兵団卒業後、別途に受験機会があった)。従って一等兵(旧三等兵)の後半から受験資格ができた。合格し入校すると徴兵であっても志願兵に変更となり、同時に兵役期間は5年(徴兵は3年)に変更となった。兵長(旧一等兵)を1年勤務すると下士官任用試験の受験資格を得たが学校を終了していればほぼ合格することができた。合格すると最も近い進級日に二等兵曹(旧三等兵曹)に任官した。志願兵で学校を終了したが下士官任用試験を受けないものは除隊時に二等兵曹(旧三等兵曹)に任官して予備役となった。
  11. ^ 正式には陸海軍とも入営という。ほとんどの兵が海兵団に入って最初の教育を受けたため、俗に海軍に入ることを入団といった
  12. ^ 3年経過する毎に付与される山形の善行章で識別できた。

出典

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  1. ^ 国立国会図書館 (2007年1月). “ヨミガナ辞書” (PDF). 日本法令索引〔明治前期編〕. ヨミガナ辞書. 国立国会図書館. p. 156. 2023年4月8日閲覧。
  2. ^ 「陸軍武官表・四条」国立公文書館、請求番号:太00424100、件名番号:015、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一(第10画像目から第12画像目まで)
  3. ^ 「陸軍武官官等表改正・二条」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15110464100、公文類聚・第七編・明治十六年・第十五巻・兵制一・兵制総・陸海軍官制一(国立公文書館)(第5画像目から第7画像目まで)
  4. ^ 「後備軍兵卒等級」国立公文書館、請求番号:太00650100、件名番号:022、太政類典・第三編・明治十一年~明治十二年・第四十六巻・兵制・武官職制一
  5. ^ 「陸軍武官表中卒ノ区画中ニ追加」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15110464600、公文類聚・第七編・明治十六年・第十五巻・兵制一・兵制総・陸海軍官制一(国立公文書館)
  6. ^ 「陸軍歩騎砲兵隊上等卒撰挙及教育仮規則ヲ定ム・二条」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15110469700、公文類聚・第七編・明治十六年・第十六巻・兵制二・陸海軍官制二(国立公文書館)(第3画像目)
  7. ^ 「歩騎砲兵上等卒の儀上等兵と換称」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08070091400、明治18年 陸軍省達書 上 第3号(防衛省防衛研究所)
  8. ^ 「工兵輜重兵に上等兵を被置」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08070091800、明治18年 陸軍省達書 上 第3号(防衛省防衛研究所)
  9. ^ 内閣官報局 編「達乙第128号 陸軍軍楽隊ニ楽手補ヲ置キ上等兵相当ト定ム」『法令全書』 明治18年 下巻、内閣官報局、東京、1912年、913頁。 
  10. ^ 「昭和十二年勅令第十二号陸軍武官官等表ノ件〇昭和六年勅令第二百七十一号陸軍兵等級表ニ関スル件ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A02030204100、公文類聚・第六十四編・昭和十五年・第六十二巻・官職六十・官制六十・官等俸給及給与(外務省~旅費)(国立公文書館)(第10画像目から第13画像目まで)
  11. ^ a b 「陸軍補充条例中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113462200、公文類聚・第二十七編・明治三十六年・第七巻・官職六・任免(内務省~雑載)(国立公文書館)(第1画像目から第2画像目まで、第38画像目から第40画像目まで、第51画像目から第52画像目まで、第54画像目)
  12. ^ 「伍長勤務上等兵の待遇方等の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C07071955200、明治37年 「肆大日記 1月」(防衛省防衛研究所)
  13. ^ 「陸軍武官官等表〇文武判任官等級表中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113268700、公文類聚・第二十三編・明治三十二年・第十三巻・官職六・官制六・官等俸給及給与一(内閣~陸軍省一)(国立公文書館)(第11画像目から第12画像目)
  14. ^ a b 「陸軍補充条例中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113273400、公文類聚・第二十三編・明治三十二年・第十六巻・官職九・任免二(陸軍省~雑載)(国立公文書館)(第25画像目から第28画像目まで、第67画像目から第70画像目まで、第83画像目から第84画像目まで)
  15. ^ 「現役満期トナルヘキ各兵上等兵及徴兵一等看護卒中優秀ノ者ニハ下士適任証書ヲ付与ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111329500、公文類聚・第十一編・明治二十年・第十四巻・兵制門四・徴兵(国立公文書館)
  16. ^ 「陸軍武官官等表中ヲ改正シ○陸軍兵等級表ニ関スル件○陸軍兵ノ名称改正ニ関スル件ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A14100261700、公文類聚・第五十五編・昭和六年・第十巻・官職八・官等俸給及給与附旅費(外務省~府庁県)(国立公文書館)(第6画像目)
  17. ^ 「附録2 下士官の優遇及志願の心得」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14111127500、輜重兵第5大隊史 昭和7年7月(防衛省防衛研究所)
  18. ^ 「士官適任証書附与概則・二条」国立公文書館、請求番号:太00801100、件名番号:027、太政類典・第五編・明治十四年・第二十六巻・兵制・武官職制一
  19. ^ 「大正九年勅令第十号海軍武官官階ノ件〇大正九年勅令第十一号海軍兵職階ニ関スル件ヲ改正ス・(機関科ヲ兵科ニ、造船、造機、造兵等ノ各科ヲ技術科ニ廃止統合等並官名改正ノ為)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03010008700、公文類聚・第六十六編・昭和十七年・第十五巻・官職十一・官制十一(海軍省)(国立公文書館)(第13画像目から第17画像目まで、第21画像目)
  20. ^ 「海軍兵進級規則」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12120775700、現行 兵事法令集 2 服役.補充.召募之部 昭和4年8月 発行(防衛省防衛研究所)(第2画像目から第3画像目)9条、12条

関連項目

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