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中洲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中洲一丁目から五丁目まで[1][2]
中洲地区と那珂川
中洲地区と那珂川
地図
中洲の地図
中洲一丁目から五丁目まで[1][2]の位置(福岡市内)
中洲一丁目から五丁目まで[1][2]
中洲一丁目から五丁目まで[1][2]
中洲の地図
中洲一丁目から五丁目まで[1][2]の位置(福岡県内)
中洲一丁目から五丁目まで[1][2]
中洲一丁目から五丁目まで[1][2]
中洲一丁目から五丁目まで[1][2] (福岡県)
中洲一丁目から五丁目まで[1][2]の位置(日本内)
中洲一丁目から五丁目まで[1][2]
中洲一丁目から五丁目まで[1][2]
中洲一丁目から五丁目まで[1][2] (日本)
北緯33度35分37.2秒 東経130度24分19.0秒 / 北緯33.593667度 東経130.405278度 / 33.593667; 130.405278
日本の旗 日本
都道府県 福岡県
市町村 福岡市
博多区
面積
 • 合計 20.27 ha
人口
(2023年(令和5年)9月末現在)[4]
 • 合計 691人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
810-0801
市外局番 092

中洲(なかす)は、福岡県福岡市博多区町名で、那珂川博多川に挟まれた中州に位置する歓楽街。現行の行政地名は、中洲一丁目から五丁目まで[1][2]。面積は202,650平方メートル (20.27 ha)[3]。2023年9月末現在の人口は691人[4]郵便番号は810-0801[5]

地理

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那珂川の流れに沿って北西から南東にかけて約1キロの細長い地形を呈する。北東から南西にかけての横幅は約200メートル。最寄り駅は福岡市交通局(地下鉄空港線箱崎線中洲川端駅

天神博多駅の間に位置しており、天神の繁華街からは徒歩圏内である。博多川を挟んで川端通商店街複合商業施設キャナルシティ博多とも隣接している。北西から昭和通り明治通り国体道路国道202号)が当該地域を貫き、それらに直角に交る中洲中央通りが歓楽街のメインストリートである。行政界として、昭和通りから北西が中洲中島町、昭和通りから南東が中洲(1-5丁目)で、中洲中島町を除いた地区が歓楽街に該当する。また那珂川の対岸は「西中洲」という地名である。西中洲は「中洲の続き」という位置付けで飲食店街が広がっているが、中洲と異なり博多区ではなく中央区である。

河川

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中洲の東側及び西側に次の河川が横断している[6]

都市計画

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都市計画に関しては、「福岡市都市計画マスタープラン」[7]において定められた方針については次のとおりである。中洲は「都心部」の一部とされ、「都心部」[8]は、具体的には、天神、博多駅、博多ふ頭、中央ふ頭を中心として東は御笠川、南は百年橋通り、西は大正通りに囲まれたエリア[注釈 1]とされている。中洲は、この都心部の中でも福岡市の代表的なアミューズメント・商業ゾーンとして、博多の商業機能の集積を活かした賑わいのある「都市拠点」と位置付けられ、魅力ある歩行空間の確保、周辺地区との連携強化などがまちづくりの視点とされている。また、交通ネットワークとして都市の骨格となる国道202号明治通り及び昭和通りの沿道は、商業、業務、サービス施設や中高層住宅などが連続した「都市軸」に位置付けられている。環境資源に関しては、那珂川及び博多川の河川沿いが散策・憩いの場となるとともに、緑と広がりのある景観が連続したゆとりと潤いのある水辺空間として「河川緑地軸」に位置付けられている。用途地域については次のとおりである[9]。中洲の町内全域が商業地域に指定されている。

土地利用

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九州最大の歓楽街であり、西日本一の歓楽街とされる。また、東京新宿歌舞伎町札幌すすきのと並んで、日本を代表する三大歓楽街のひとつとされている[10]。国体通りの南側の区画(中洲一丁目)は南新地と呼ばれ、風俗街ソープランド街)となっている。また、那珂川沿いは天神長浜地区とともにラーメン店などの屋台の出店が多い地域(屋台村)でもある。中洲と西中洲・天神を結ぶ「福博であい橋」からは、那珂川沿いのネオンサインの風景が見られる。

1991年に公開された映画『ゴジラvsキングギドラ』では周辺が舞台になり、大規模なロケーションが敢行された。

産業

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中洲には全国の他の歓楽街と同じく、飲食店や、風営法対象業種であるクラブキャバクラ(中洲では「ラウンジ」や「ニュークラブ」と言う)、セクシーパブバーなどが集積されている。

1996年、隣接する住吉地区にキャナルシティ博多が開業。1999年には隣接する下川端町に博多リバレインが開業。福岡玉屋は1999年に閉店したが2006年、跡地に複合商業施設gate'sが開業した。また隣接する川端通商店街にも多くの小売店や飲食店などが並ぶ。ホテルカプセルホテルインターネットカフェなどもある。

かつて1960年代までは映画館が集中していたが、社会情勢の変化により相次いで閉館し、最後に残っていた中洲大洋映画劇場(中洲大洋)が2024年3月末で建物の老朽化により閉館したことにより、中洲地区から映画館は消滅した。

最盛期(1960年代)の映画館
福岡大映劇場(福岡公楽映画劇場、福岡松竹ピカデリー1・2)、文化劇場(文化オークラ劇場、福岡オークラ劇場)、福岡宝塚会館(九州劇場→福岡日本劇場跡。福岡宝塚劇場・福岡スカラ座・福岡東宝シネマ・福岡東宝名画座)、有楽映画劇場、福岡日活劇場、大洋映画劇場、タマヤシネマ(福岡玉屋内)、博多日活劇場(福岡グランド劇場)、中洲映画劇場、福岡東宝劇場、福岡松竹映画劇場、福岡東映劇場、福岡東映パラス、多門日活(多聞座)、ハリウッド映画劇場、テアトル川丈、福岡SY松竹座

南端の南新地地区(中洲一丁目)はソープランドなど風俗店が集積し、いわゆるソープ街を形成する。那珂川沿いに整備された遊歩道には屋台が立ち並ぶ。

風適法上の扱い

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風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)のもとで福岡県が制定した「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例」(昭和59年12月28日 条例第30号)[11]において、中洲について以下のような指定がなされている。

暴力団対策

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中洲一丁目から五丁目までは、暴力団排除条例に基づき、暴力団排除特別強化地域に指定されており、暴力団と飲食店等との間でみかじめ料のやりとり、便宜供与などが禁止されている(双方に罰則が有り)[12]。また、地域内に営業所を置く特定接客業者は、所定の標章を掲示することで暴力団員の立入りを禁止することができる[13]

行事

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人口

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中州一丁目から五丁目までを合わせた人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[4]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。

語源

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「中洲」は地形を表す「中州」が地名となったものである。『福岡城下町・博多・近隣古図』三奈木黒田家 (1812年). “福岡城下町・博多・近隣古図”. 九州大学附属図書館. 2022年12月13日閲覧。に「川中の須賀」と書かれており、江戸時代には「中洲」の呼称がすでにあった。須賀(すか、「須」は音の仮借)は州処、須可(用例:万葉集/第十四巻第14巻3575)とも書かれ、砂丘で小高い所を意味する(「」及びその代用字「」だけで水で囲まれた土砂の盛り上がった所を表す。)。現在の町名、中洲一丁目から五丁目までは1966年(昭和41年)からのもので、もとは「東中洲」と「中島町」の一部である[14]。中州全体のうち現在は北側に隣接する「中洲中島町」と行政上の区別しているのは、『元禄12年 福岡御城下之絵図』[15]に見られるように、もともと別の中州であったためと考えられている[14]

歴史

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古くは「東中洲」と呼ばれていた。

慶長年間、福岡藩初代藩主の黒田長政が、福岡(現在の中央区)と博多(現在の博多区)を結ぶために、中の島(中島町。現在の中洲中島町近辺)の東西に東中島橋と西中島橋(現在の昭和通り)をかけて整備された。当初は中洲流はなく、魚町流(福神流)に属しており、町人町である博多の一部とされた。中島町から西中島橋を渡って福岡入りする箇所には城下町防御のため枡形門が置かれた。

博多湾に面する北西端には長崎警護の船を係留する御船入が設けられたが、砂が堆積し用をなさなくなり、寛政3年(1791年)には新御船入が現在の博多中学校の位置に新設。中の島の古御船入は1820年文政3年)頃に埋められ(浜新地)、1834年天保5年)の福岡藩藩政改革では発行した銀札を流通させるため中島町・浜新地一帯が繁華街として整備され、芝居相撲富籤がおこなわれた。同年秋には市川團十郎が『仮名手本忠臣蔵』を上演。また茶屋なども集まった。1847年弘化4年)には黒田長溥により藩営精錬所が設けられる。

一方現在の中洲の大半は18世紀半ばまで畑であり、福岡市制が始まる1889年明治22年)までは那珂郡春吉村の一部であった。

明治時代になり、中洲には福岡病院(九州大学病院の前身)や博多電灯本社、福岡電話局などが開設される。1874年(明治7年)には常設芝居小屋が設立され、明治30年代には次々と劇場が建てられた。さらに1913年大正2年)からは映画館が続々と立てられ、繁華街として発展。1925年(大正14年)には玉屋デパートが開業。

1897年(明治30年)から券番(検番。芸妓と客を取り持つ事務所)が複数設立された。大正時代の初期から都市化が進み、昭和モダンの影響でカフェバーも増えていった。中でも1934年昭和9年)に開店した「ブラジレイロ」は文学サロンとなり、火野葦平夢野久作、原田種夫らが足を運んだ。

1907年には与謝野鉄幹北原白秋ら文学人5人が九州各地を旅行中、中洲の川丈旅館に宿泊。この時の紀行文は『五足の靴』として出版された。

1945年(昭和20年)の福岡大空襲では南新地の一部を除いた中洲全域が罹災。しかし同年末から映画館が復興。劇場も復活。映画館は1956年には17館も立ち並んだ。券番も復活。またスナックやキャバレーも激増。また南新地にはソープランドなどが増加した。

なお、1956年から1959年までの間、花の関ビル上階に久留米市にあったラジオ局の九州朝日放送(KBC)が移転。テレビ開局に伴い長浜に再移転するまでここで放送していた。

かつて中洲は「なかず」と濁音で呼ばれたとされる。清音の「なかす」が正式になった時期は不明だが、今でもこだわりをもって「なかず」と呼ぶ人もいる。

交通

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道路

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主な幹線道路は次の通り。

都市高速道路

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都市高速道路としては福岡高速環状線が町域の北西側及び北東側に通っており、町外ではあるが、最寄りの出入り口としては次のものがある。

国道

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国道は次の通り。

市道

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福岡市が管理する市道の主要なものは次のとおり。

幹線道路以外の市道

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町内の市道には、歴史的な由来や地域の特性などに基づいた愛称付きの区画道路や橋梁がある[16]

  • 博多川通り(はかたがわどおり)[注釈 2]
  • 那珂川通り(なかがわどおり)[注釈 3]
  • 中洲中央通り(なかすちゅうおうどおり)[注釈 4]
  • 千日前通り(せんにちまえどおり)[注釈 5]
  • 國廣神社通り(くにひろじんじゃどおり)[注釈 6]
  • 楽天地通り(らくてんちどおり)[注釈 7]
  • であい橋通り(であいばしどおり)[注釈 8]
  • 芳町通り(よしちょうどおり)[注釈 9]
  • 芳町中道(よしちょうなかみち)[注釈 10]
  • 永楽東通り(えいらくひがしどおり)[注釈 11]
  • 永楽町通り(えいらくちょうどおり)[注釈 12]
  • 人形町通り(にんぎょうちょうどおり)[注釈 13]
  • ロマン通り(ろまんどおり)[注釈 14]
  • 京極通り(きょうごくどおり)[注釈 15]
  • 作人町通り(さくにんちょうどおり)[注釈 16]
  • 錦小路(にしきしょうじ)[注釈 17]
  • 新橋通り(しんばしどおり)[注釈 18]
  • 南新地通り(みなみしんちどおり)[注釈 19]
  • 清流公園通り(せいりゅうこうえんどおり)[注釈 20]
  • 銀座通り(ぎんざどおり)[注釈 21]
  • 中洲懸橋(なかすかけはし)[注釈 22]

鉄道

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鉄道については、福岡市交通局が運営する地下鉄が北側に通っており、中洲及び川端に跨って、次の駅がある。

バス

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バスについては、西日本鉄道株式会社が運営する西鉄バスが運行しており、次の停留所がある[20](中洲停留所には他社運行を含む一部の高速バスも発着する)。

施設

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中洲は特に商業施設が集積しており、代表的なものは以下のとおりである。中洲一丁目から中洲五丁目までの事業所数は、2016年(平成28年)の経済センサス[21]によると1,514である。

商業・娯楽施設

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公共・公益施設

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教育機関

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小・中学校

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町内に小・中学校は存在しない。全域が福岡市立博多小学校および福岡市立博多中学校校区となっている[23]

名所・旧跡

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  • 博多町家寄進高灯籠(はかたまちやきしんたかとうろう)[注釈 26]
  • 「五足の靴」文学碑[注釈 27]
  • 川端飢飢人地蔵尊(かわばたうえにんじぞうそん、福博八十八ヶ所第三拾四番札所)[注釈 28]
  • 中洲國廣稲荷神社(なかすくにひろいなりじんじゃ)[注釈 29]

脚注

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注釈

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  1. ^ 博多区:沖浜町、石城町、大博町、下呉服町、中呉服町、上呉服町、御供所町、祇園町、冷泉町、上川端町、下川端町、店屋町、綱場町、奈良屋町、神屋町、築港本町、対馬小路、古門戸町、須崎町、中洲中島町、中洲、博多駅中央街博多駅前博多駅東博多駅南の一部、中央区:西中洲、春吉、渡辺通、天神、大名、今泉、警固の一部、薬院の一部、清川、高砂、白金、大宮、平尾の一部、那の津、長浜の一部、舞鶴の一部
  2. ^ 路線名:中洲335号線、336号線、338号線、351号線、359号線及び360号線、座標:北緯33度35分38.4秒 東経130度24分22.1秒 / 北緯33.594000度 東経130.406139度 / 33.594000; 130.406139
  3. ^ 路線名:中洲342号線の一部、345号線の一部、348号線、363号線、座標:北緯33度35分33.0秒 東経130度24分19.6秒 / 北緯33.592500度 東経130.405444度 / 33.592500; 130.405444
  4. ^ 路線名:中洲332号線、340号線及び361号線、座標:北緯33度35分33.51秒 東経130度24分24.68秒 / 北緯33.5926417度 東経130.4068556度 / 33.5926417; 130.4068556
  5. ^ 路線名:中洲362号線、座標:北緯33度35分38.2秒 東経130度24分14.3秒 / 北緯33.593944度 東経130.403972度 / 33.593944; 130.403972
  6. ^ 路線名:中洲364号線、365号線及び366号線、座標:北緯33度35分38.2秒 東経130度24分15.9秒 / 北緯33.593944度 東経130.404417度 / 33.593944; 130.404417
  7. ^ 路線名:中洲387号線及び358号線、座標:北緯33度35分35.1秒 東経130度24分19.4秒 / 北緯33.593083度 東経130.405389度 / 33.593083; 130.405389
  8. ^ 路線名:中洲356号線及び上川端町319号線の一部、座標:北緯33度35分34.3秒 東経130度24分21.0秒 / 北緯33.592861度 東経130.405833度 / 33.592861; 130.405833
  9. ^ 路線名:中洲350号線、座標:北緯33度35分35.1秒 東経130度24分25.8秒 / 北緯33.593083度 東経130.407167度 / 33.593083; 130.407167
  10. ^ 路線名:中洲352号線、座標:北緯33度35分35.4秒 東経130度24分27.1秒 / 北緯33.593167度 東経130.407528度 / 33.593167; 130.407528
  11. ^ 路線名:中洲353号線、座標:北緯33度35分33.7秒 東経130度24分26.8秒 / 北緯33.592694度 東経130.407444度 / 33.592694; 130.407444
  12. ^ 路線名:中洲355号線、座標:北緯33度35分33.3秒 東経130度24分22.4秒 / 北緯33.592583度 東経130.406222度 / 33.592583; 130.406222
  13. ^ 路線名:中洲345号線の一部及び349号線、座標:北緯33度35分31.4秒 東経130度24分25秒 / 北緯33.592056度 東経130.40694度 / 33.592056; 130.40694
  14. ^ 路線名:中洲345線の一部及び上川端323号線、座標:北緯33度35分33.1秒 東経130度24分27.9秒 / 北緯33.592528度 東経130.407750度 / 33.592528; 130.407750
  15. ^ 路線名:中洲334号線、座標:北緯33度35分32.7秒 東経130度24分31.3秒 / 北緯33.592417度 東経130.408694度 / 33.592417; 130.408694
  16. ^ 路線名:中洲333号線及び337号線、座標:北緯33度35分31.4秒 東経130度24分31.1秒 / 北緯33.592056度 東経130.408639度 / 33.592056; 130.408639
  17. ^ 路線名:中洲347号線、座標:北緯33度35分30.4秒 東経130度24分27.4秒 / 北緯33.591778度 東経130.407611度 / 33.591778; 130.407611 ウィキメディア・コモンズには、錦小路に関するカテゴリがあります。
  18. ^ 路線名:中洲346号線及び上川端町329号線の一部、座標:北緯33度35分30.4秒 東経130度24分31.2秒 / 北緯33.591778度 東経130.408667度 / 33.591778; 130.408667
  19. ^ 路線名:中洲339号線の一部及び344号線、座標:北緯33度35分27.7秒 東経130度24分33.6秒 / 北緯33.591028度 東経130.409333度 / 33.591028; 130.409333
  20. ^ 路線名:中洲341号線、座標:北緯33度35分25.7秒 東経130度24分31.7秒 / 北緯33.590472度 東経130.408806度 / 33.590472; 130.408806
  21. ^ 路線名:中洲342号線の一部及び343号線、座標:北緯33度35分24.9秒 東経130度24分33.5秒 / 北緯33.590250度 東経130.409306度 / 33.590250; 130.409306
  22. ^ 路線名:西中洲68号線、座標:北緯33度35分26.9秒 東経130度24分25.7秒 / 北緯33.590806度 東経130.407139度 / 33.590806; 130.407139、現地説明板の概略:「現在の『中洲懸橋』の位置に初めて橋(『春吉橋』)架けられたのは1678年(延宝6年)との記録がある。橋は、幾度かの改修を経て、1910年(明治43年)に開催された博覧会を期に石組工法を用いて架替えられた。1948年(昭和23年)に福岡で開催される第3回国体のために新たに国体道路ができ、上流側に新しい春吉橋が架けられ、これまでの橋は取壊される予定であったが、地元の強い要望により、人道橋として『中洲懸橋』に名称を変え、残すことになった。その後、老朽化に伴う架替えでも、昔の石材を使用するなどの工夫がされている。」[17][18][19]
  23. ^ 所在地:中洲三丁目2番6号北緯33度35分33.2秒 東経130度24分27.0秒 / 北緯33.592556度 東経130.407500度 / 33.592556; 130.407500、外部リンク:福岡県警察. “福岡県警察”. 2022年12月14日閲覧。→福岡県警察について→あなたの街の警察署→博多警察署→警察署・交番案内→中洲警部交番
  24. ^ 所在地:中洲一丁目7番北緯33度35分22.7秒 東経130度24分33.9秒 / 北緯33.589639度 東経130.409417度 / 33.589639; 130.409417、公園種別:街区公園、面積:8,938m2、開園年度:1952[22]
  25. ^ 所在地:中洲一丁目7番(清流公園内)北緯33度35分23.11秒 東経130度24分33.04秒 / 北緯33.5897528度 東経130.4091778度 / 33.5897528; 130.4091778、管理者:福岡県那珂土木事務所南畑ダム管理出張所、施設内容:南畑ダムの放流を行う際に、急に水位が上がることを知らせるサイレン、外部リンク:福岡県那珂県土整備事務所南畑・五ケ山ダム管理出張所. “南畑ダムを紹介します”. 2022年12月20日閲覧。
  26. ^ 所在地:中洲一丁目北緯33度35分20.59秒 東経130度24分34.6秒 / 北緯33.5890528度 東経130.409611度 / 33.5890528; 130.409611、現地説明板の概略:「この灯籠は、博多商人の八尋利兵衛(やひろりへえ)が遊園地『向島』(むこうじま)を開園したときに、その記念として1900年(明治33年)に建設し、住吉神社に寄進したものである。遊園地は中洲から住吉にかけて整備されていたが、その市街化に伴い、1954年(昭和29年)に現在地に移された。」[24]
  27. ^ 所在地:中洲三丁目1番18号(「川丈旅館(かわじょうりょかん、法人番号:1290003000026、法人名称:株式会社川丈)[25]」の前北緯33度35分35.41秒 東経130度24分28.68秒 / 北緯33.5931694度 東経130.4079667度 / 33.5931694; 130.4079667、内容:与謝野鉄幹と4人の若者、北原白秋吉井勇平野万里木下杢太郎による1907年(明治40年)7月31日の九州入りを記念して、1966年(昭和41年)に建てられた文学碑。「旅籠屋の▼名を川丈と▼いひしこと▼ふとおもい出て▼むかし恋しむ」という吉野勇の歌が刻まれている。なお、その時の記録は紀行文『五足の靴』として1907年(明治40年)に発表された。
  28. ^ 所在地:中洲二丁目8番33号北緯33度35分32.49秒 東経130度24分33.66秒 / 北緯33.5923583度 東経130.4093500度 / 33.5923583; 130.4093500 ウィキメディア・コモンズには、川端飢人地蔵尊に関するカテゴリがあります。
  29. ^ 所在地:中洲五丁目6番7号北緯33度35分40.6秒 東経130度24分17.1秒 / 北緯33.594611度 東経130.404750度 / 33.594611; 130.404750、法人番号:1290005000123[25]、法人名称:國廣神社、祭神:倉稲魂命

出典

[編集]
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  2. ^ a b 福岡市(住宅都市局建築指導部開発・建築調整課). “福岡市ホームページ”. 2024年5月1日閲覧。→よくある質問QA→生活情報/住宅・建築→福岡市に建てる/地番及び住所の書き方を知りたい。(都市計画法第36条第3項「工事完了公告」)
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関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯33度35分37秒 東経130度24分19秒 / 北緯33.593647度 東経130.405295度 / 33.593647; 130.405295

  1. ^ 渡っていいとも タモリさん、地元福岡「春吉橋」と父にささげた思い”. 朝日新聞デジタル (2022年4月9日). 2023年9月11日閲覧。