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二条厚基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二条厚基
にじょう あつもと
『大阪朝日新聞大正十三年七月一日付』より
生年月日 1883年6月14日
没年月日 (1927-09-11) 1927年9月11日(44歳没)[注釈 1]
出身校 東京帝国大学
所属政党無所属→)
研究会
称号 正三位
勲四等瑞宝章
子女 養子・二条弼基
親族 伯父・九条道孝(貴族院議員)
伯父・鷹司煕通(貴族院議員)
伯父・前田利鬯(貴族院議員)
叔父・岡部長職(司法大臣)
父・二条基弘(貴族院議員)
従兄・九条道実(貴族院議員)
従弟・鷹司信輔(貴族院議員)

在任期間 1920年6月30日 - 1927年9月11日
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二条 厚基(にじょう あつもと、1883年明治16年〉6月14日[1] - 1927年昭和2年〉9月11日[2][3][注釈 1])は、日本の政治家華族貴族院公爵議員

経歴

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公爵二条基弘の二男として生まれる[2][5]学習院高等科東京帝国大学で学ぶ[5]。父の隠居に伴い、1920年大正9年)6月30日、公爵を襲爵し貴族院公爵議員に就任した[2][6]。当選後は無所属だったが、1922年(大正11年)9月27日、研究会に所属した[7][8]

1917年(大正6年)以降、神奈川県嘱託、平和記念東京博覧会審査官、歌御会始読師控などを務めた[4]

1927年9月11日、議員在職中のまま死去[3]。実子がいなかったため相続争いが起こったが、二条正麿の三男である弼基が養子となり襲爵した[9]。墓所は二尊院

栄典

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勲章

位階

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』11頁では「9月12日」[4]

出典

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  1. ^ 華族名簿 大正5年3月31日調 112コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、319-321頁。
  3. ^ a b 官報 1927年09月15日 4コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』11頁。
  5. ^ a b 『人事興信録』第7版、に3頁。
  6. ^ 『官報』第2374号、大正9年7月1日。
  7. ^ 貴族院の政治団体と会派 77コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 研究会所属貴族院議員録 : 創立より解散まで 100コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、245頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  10. ^ a b 官報 1927年09月14日 4コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 『官報』第7209号「叙任及辞令」1907年7月11日。
  12. ^ 官報 1913年08月12日 3コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  13. ^ 官報 1926年04月06日 3コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  14. ^ 官報 1927年09月14日 5コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第7版、1925年。
日本の爵位
先代
二条基弘
公爵
二条家第2代
1920年 - 1927年
次代
二条弼基