二条厚基
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二条厚基 にじょう あつもと | |
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『大阪朝日新聞大正十三年七月一日付』より | |
生年月日 | 1883年6月14日 |
没年月日 | 1927年9月11日(44歳没)[注釈 1] |
出身校 | 東京帝国大学 |
所属政党 |
(無所属→) 研究会 |
称号 |
正三位 勲四等瑞宝章 |
子女 | 養子・二条弼基 |
親族 |
伯父・九条道孝(貴族院議員) 伯父・鷹司煕通(貴族院議員) 伯父・前田利鬯(貴族院議員) 叔父・岡部長職(司法大臣) 父・二条基弘(貴族院議員) 従兄・九条道実(貴族院議員) 従弟・鷹司信輔(貴族院議員) |
在任期間 | 1920年6月30日 - 1927年9月11日 |
二条 厚基(にじょう あつもと、1883年〈明治16年〉6月14日[1] - 1927年〈昭和2年〉9月11日[2][3][注釈 1])は、日本の政治家、華族。貴族院公爵議員。
経歴
[編集]公爵・二条基弘の二男として生まれる[2][5]。学習院高等科、東京帝国大学で学ぶ[5]。父の隠居に伴い、1920年(大正9年)6月30日、公爵を襲爵し貴族院公爵議員に就任した[2][6]。当選後は無所属だったが、1922年(大正11年)9月27日、研究会に所属した[7][8]。
1917年(大正6年)以降、神奈川県嘱託、平和記念東京博覧会審査官、歌御会始読師控などを務めた[4]。
1927年9月11日、議員在職中のまま死去[3]。実子がいなかったため相続争いが起こったが、二条正麿の三男である弼基が養子となり襲爵した[9]。墓所は二尊院。
栄典
[編集]勲章
位階
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『華族名簿 大正5年3月31日調 112コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、319-321頁。
- ^ a b 『官報 1927年09月15日 4コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』11頁。
- ^ a b 『人事興信録』第7版、に3頁。
- ^ 『官報』第2374号、大正9年7月1日。
- ^ 『貴族院の政治団体と会派 77コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『研究会所属貴族院議員録 : 創立より解散まで 100コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、245頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ a b 『官報 1927年09月14日 4コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報』第7209号「叙任及辞令」1907年7月11日。
- ^ 『官報 1913年08月12日 3コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報 1926年04月06日 3コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報 1927年09月14日 5コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 人事興信所編『人事興信録』第7版、1925年。
日本の爵位 | ||
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先代 二条基弘 |
公爵 二条家第2代 1920年 - 1927年 |
次代 二条弼基 |