于敏
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于 敏 | |
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生誕 |
1926年8月16日 中華民国 直隷省寧河県 |
死没 |
2019年1月16日(92歳没) 中国北京市 |
居住 | 北京市 |
国籍 | 中国 |
研究分野 | 核物理学、核兵器 |
研究機関 | 中国科学院近代物理研究所 |
出身校 | 北京大学 |
主な業績 | 中国の「水爆の父」 |
主な受賞歴 |
国家最高科学技術賞(2015年) 改革開放の先導者(2018年) 共和国勲章(2019年) |
プロジェクト:人物伝 |
于 敏(う びん、拼音: 、1926年8月16日 - 2019年1月16日)は、中華人民共和国の核物理学者、中国科学院の院士。機密保持のため名前を伏せながら長年水爆の理論研究に従事。1967年の水爆実験成功に貢献。中国の「水爆の父」といわれる[1]。
略歴
[編集]1926年8月16日に直隷省寧河県芦台鎮で生まれ、天津木斎中学校、耀華中学校に経て、1944年に北京大学工学部に入学。1946年に理学部に移り、理論物理学を専攻し、1949年に卒業。その後、北京大学の大学院で研究を続けた[2]。
1951年から1965年まで中国科学院現代物理研究所で勤務。1965年に、第二機械工業部第九研究設計院(現中国工程物理研究院)に移転、理論研究所副所長、所長、副院長などを歴任。1980年に中国科学院の学部委員(院士)に選出された。1985年8月に中国共産党へ入党[3]。
2019年1月16日逝去[4]。92歳没。
受賞歴
[編集](中国政府による賞)
- 1987年 - 「全国勞動模範」称号
- 1999年9月18日 - 両弾一星功労勲章[5]
- 2015年1月9日 - 2014年度国家最高科学技術賞[5]
- 2015年2月 - 感動中国年度人物
- 2015年10月13日 - 「全国敬業奉仕模範」称号
- 2018年12月18日 -「改革開放の先導者」称号[6]
- 2019年9月29日 - 共和国勲章(死後追贈)
脚注
[編集]- ^ “中国初の「国家勲章」の候補者決まる 政府が求める「模範国民」とは?”. AFPBB News (2019年9月6日). 2019年10月2日閲覧。
- ^ “中国“氫弾之父”于敏:従名字絶密到解禁” (中国語). 新浪 (2009年8月19日). 2019年10月7日閲覧。
- ^ “于敏院士” (中国語). 中国科学院 (2019年1月16日). 2019年10月7日閲覧。
- ^ “于敏氏死去=中国「水爆の父」”. 時事通信社 (2019年1月16日). 2019年10月7日閲覧。
- ^ a b “改革先鋒于敏去世 曾“隠身”長達三十年之久” (中国語). 新華網 (2019年1月16日). 2019年1月16日閲覧。
- ^ “中国改革友誼奨章獲得者” (中国語). 新華網 (2018年12月18日). 2019年10月7日閲覧。