井上正廬
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政4年(1792年) |
死没 | 文政2年12月20日(1820年2月4日) |
戒名 | 高照院峯山日登 |
墓所 | 東京都台東区の谷中霊園 |
官位 | 従五位下内膳正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 常陸下妻藩主 |
氏族 | 深溝松平家→井上氏 |
父母 | 父:松平忠馮、養父:井上正健 |
兄弟 |
正廬、松平忠侯、京極高景、中西元歴、森川俊民、松平忠篤、真田幸忠、志賀、板倉勝晥室、喜代 養兄弟:井上正誠正室 |
妻 | 正室:本多忠顕娘 |
子 | 養子:正民 |
井上 正廬(いのうえ まさとも)は、江戸時代後期の大名。常陸国下妻藩8代藩主。官位は従五位下・内膳正。
略歴
[編集]文化13年(1816年)9月14日、先代藩主の正健の隠居により跡を継ぎ、同年12月に叙任する。文政2年(1819年)12月20日、28歳で死去し、跡を養嗣子の正民(井上正甫の次男)が継いだ。法号は高照院峯山日登。墓所は東京都台東区の谷中霊園。
系譜
[編集]父母
正室
- 本多忠顕の娘
養子