伊勢貞忠
表示
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 文明15年(1483年) |
死没 | 天文4年11月24日(1535年12月28日) |
改名 | 七郎(幼名)→貞忠 |
官位 | 兵庫頭、備中守、従四位上、伊勢守 |
幕府 | 室町幕府政所執事 |
主君 | 足利義澄→義稙→義晴 |
氏族 | 伊勢氏 |
父母 | 父:伊勢貞陸 |
兄弟 | 貞忠、貞雅、貞能 |
子 | 養子:貞孝(伊勢貞辰の子) |
伊勢 貞忠(いせ さだただ)は、戦国時代の武将。室町幕府政所執事。伊勢貞陸の子[1]。
生涯
[編集]11代将軍足利義澄に近習として仕え、永正5年(1508年)の義澄出奔後は将軍職に復権した足利義稙の御供衆となった。大永元年(1521年)の父の死後執事職を継承、12代将軍足利義晴にも仕え、亡くなるまで幕府の財政管理と訴訟を担った。天文4年(1535年)に死去、養子の貞孝が執事職を継承した。
大永3年(1523年)に義晴を自邸に招いたことを『伊勢守貞忠亭御成記』として記録した。
参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、110頁。