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八木沼純子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八木沼 純子
Junko YAGINUMA
フィギュアスケート選手
生誕 (1973-04-01) 1973年4月1日(51歳)
東京都
身長 157cm
選手情報
代表国 日本の旗 日本
所属クラブ 品川プリンスクラブ
引退 1995年
獲得メダル
フィギュアスケート
世界ジュニア選手権
1988 ブリスベン 女子シングル
1989 サラエヴォ 女子シングル

八木沼 純子(やぎぬま じゅんこ、1973年4月1日 - )は、1980年代から1990年代にかけて活躍した日本フィギュアスケート選手(女子シングル)。1988年カルガリーオリンピック女子シングル日本代表(14位)。世界選手権通算7回出場(最高11位)、1993年ユニバーシアード大会優勝など。1995年からプロスケーターに転向し、他スポーツキャスター[1]、解説者としても活動している。マネジメント契約先はスポーツビズ愛称は「ジュンジュン」。内閣総理大臣を2度務めた松方正義及び山本権兵衛玄孫にあたる。

人物

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東京都港区出身。森村学園初等部品川区立第二延山小学校(5年生時に編入)[2]、品川中学校・高等学校(現・品川女子学院中等部・高等部)を経て早稲田大学教育学部(社会科社会科学専修)を卒業。

家族は工業デザイナーの父と母(森村学園で福原美和コーチの1学年上であった)。母方の祖父は外務省官員の樺山資英(鹿児島市長樺山可也の子)、母方の祖母は実業家の松方乙彦松方正義の八男で、岳父は山本権兵衛)の娘。子沢山だった曽祖父・松方正義の子孫は約600人おり[3]、その中には松本重治エドウィン・ライシャワー駐日アメリカ合衆国特命全権大使白洲次郎松方三郎牛場信彦牛場友彦松方正熊井上保次郎、遠縁には大久保利通牧野伸顕麻生太賀吉麻生太郎福沢諭吉小沢征爾芦田均柳原前光柳原白蓮堤清二木内みどり水野成夫近藤廉平吉田茂などがいる。

1988年、14歳の中学3年生にしてカルガリーオリンピック代表に選出された際、1987年の新語・流行語大賞流行語部門で銅賞に選ばれた「ゴクミ」(女優の後藤久美子の愛称)になぞらえて「銀盤のゴクミ」と呼ばれ、人気を博した[4]ポニーテールの髪型と赤い頬がトレードマークだった。ポニーテールは1988-1989シーズンまで続けたが、1989-1990シーズン以降は髪型をショートカットにしている。

2009年6月、1歳年上の会社員の男性と婚約。挙式披露宴は同年9月に東京グランドプリンスホテル高輪にて行なわれた[4]

経歴

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5歳でスケートを始める[5]。品川プリンスクラブに所属し、福原美和に師事。1987年世界ジュニア選手権規定、ショートプログラムともに1位だったが、フリーでクリスティー・ヤマグチ柏原由起子に次ぐ3位となり、総合2位で優勝を逃す。

1988年全日本選手権は、1988年カルガリーオリンピックの日本女子代表2枠の選考会を兼ねていた。1枠目は伊藤みどりが確実視され、2枠目は小沢樹里加藤雅子結城幸枝の大学生トリオが有力視されていたなか、初出場の八木沼が2位となり14歳で五輪代表に選出された(第2次世界大戦後の冬季オリンピック女子代表選手としては最年少)。同大会3位に入賞した佐藤有香とともに中学生旋風を巻き起こした。しかし、カルガリー五輪本番では調整に失敗し、総合14位に留まった。初出場の世界フィギュア選手権も21位に終わった。

翌シーズンは、まだ優勝の無かった全日本ジュニア制覇と世界ジュニア日本人初優勝を目指してジュニアに残留した。しかし全日本ジュニアでは佐藤有香に逆転され2位[6]。世界ジュニアでも2位に終わった。その後、1993年開催のユニバーシアード大会で優勝を達成するも、全日本選手権では通算7回も表彰台に上った(2位4回・3位3回)ものの、悲願の優勝にはあと一歩手が届かず、1992年アルベールビルオリンピック1994年リレハンメルオリンピックにも出場できなかった。通算7回出場した世界選手権は、1991年の11位が最高位だった。1994-1995シーズンをもって競技引退。最後のシーズンはNHK杯3位入賞、世界選手権12位の成績だった。

1995年、早稲田大学を卒業し、株式会社プリンスホテル新横浜プリンスホテル入社。プリンスアイスワールドに所属しプロスケーターとしての活動を始める。10月からはスポーツキャスターとしてフジテレビに出演。1999年4月よりフリーとして活動。2000年8月は当時休業中の長島三奈に代わって熱闘甲子園朝日放送)のメインキャスターを担当。2007年、「JOCスポーツ環境委員会」環境アンバサダーに就任。

技術・演技

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表現力が豊かで、現役選手当時の6.0システムによる採点法では芸術点が技術点を上回ることが多かった。スピンの技術が高く、中でもレイバックスピンが美しいと評された[注 1]

ジャンプは小学校1年生から飛び始めて、トリプルルッツは小学校5年生の時に初めて飛べた[7]

主な戦績

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大会/年 1986-87 1987-88 1988-89 1989-90 1990-91 1991-92 1992-93 1993-94 1994-95
オリンピック 14
世界選手権 21 15 12 11 19 25[注 2] 12
全日本選手権 2 2 3 3 3 2 4 2
NHK杯 6 8 5 12 3
ユニバーシアード 1
世界Jr.選手権 7 2 2
全日本Jr.選手権 2 2 2

出演

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テレビ番組

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声の出演

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テレビアニメ

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ラジオ番組

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レギュラー出演
ゲスト出演

CM

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  • ユニクロ「マイクロフリース」(2003年)
  • ドクターショール「メディキュット」(2010年)

書籍

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1990年のNHK杯のショートプログラムでも「綺麗なレイバックスピン」と解説している。
  2. ^ テクニカルプログラムに進出(24位以内)出来ず予選落ち

出典

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  1. ^ BSフジ4K「北京2022オリンピック」メインキャスターに八木沼純子さん”. 産経ニュース (2022年1月26日). 2022年1月26日閲覧。
  2. ^ 「新春対談「プロの道」」『広報しながわ』第1578号、品川区、2006年1月1日、2頁、NDLJP:11466623 
  3. ^ NHK『ファミリーヒストリー 八木沼純子』2015.9.11放映
  4. ^ a b “八木沼純子“懐の深い”37歳会社員と結婚”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2009年6月2日). オリジナルの2009年6月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090605111851/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/06/02/01.html 
  5. ^ 『Stay Gold』p.230
  6. ^ 未来のフィギュア界を担う!世界ジュニアフィギュアスケート選手権とは”. 【SPAIA】スパイア (2016年9月8日). 2020年11月18日閲覧。
  7. ^ 2008年12月7日放送『YOSHI!SPO!VITAL!』(関西テレビ第36回 フィギュアスケート(2009年2月9日時点のアーカイブ

外部リンク

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