コンテンツにスキップ

利用者:Quark Logo/sandbox杉原定利

 
杉原定利 / 道松
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正7年(1510年[1]
死没 文禄2年2月6日1593年3月8日[4]
別名 杉原道松、木下定利
通称:助左衛門
戒名 隆勝寺殿貞庵道松大居士
墓所 高台寺
官位 伯耆守
氏族 林氏→尾張杉原氏(木下氏
父母 諸説あり
兄弟 定利木下利匡
正室:朝日殿杉原家利の娘)
家定長慶院(三折全友[5]室)、高台院豊臣秀吉正室)、長生院浅野長政正室)
テンプレートを表示

杉原 定利(すぎはら さだとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての人物。

通称は助左衛門。道号は道松で、史料には杉原助左衛門入道道松または杉原常陸入道道松[6]

とのみ記され、は不詳ともされるが、孫に当たる木下延俊の『慶長日記』に定利とあるため、諸系図ではこれを採用している。別名に杉原道松木下定利

略歴

[編集]

尾張の住人[6]

妻は杉原家利の娘のこひ(朝日殿)で、

通説では、婿として杉原家に入った。

子女は嫡男の木下家定、三折全友[5]の正室長慶院(くま)、豊臣秀吉の正室高台院(ねね・寧々・お禰)、浅野長政の正室長生院(やや)、男子1人らがいる。

『木下家譜』では、秀吉に仕えて、木下姓を称したとする。

享年83[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『京都坊目誌』による。
  2. ^ 木下俊愿 1873, p.13
  3. ^ 『日出町誌史料編』、p.618
  4. ^ 『木下家譜』では文禄12年乙未2月6日卒という存在しない日付で、明らかな誤記載である[2]が、京都高台寺過去帳によると、文禄2年癸巳2月6日に没したという[3]
  5. ^ a b 医師・三雪。
  6. ^ a b 木下俊愿 1873, p.2

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]