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勝田範彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

勝田 範彦(かつた のりひこ、1968年11月17日 - )とは、愛知県出身のラリードライバー。

父は初代全日本ラリー選手権王者で元WRCドライバーの勝田照夫(1943〜)、息子はラリードライバーの勝田貴元

経歴

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勝田のドライブしたスバル・WRX STI(2017年)

WRCドライバーであった父[1]が1970年にモータースポーツショップ「ラック」を開いたこともあり、幼い頃からモータースポーツに接した。

16歳の時はバイクの免許を両親に内緒でこっそりと取得し、バイク購入時に両親に見つかったたものの、両親に怒られることはなかった[2]。高校時代はバイクのローン返済のためのアルバイトに明け暮れた[2]。20歳を過ぎてもバイクに夢中で、就職して以降もバイクで会社に通った[2]。しかしトヨタのAE86が生産終了と聞き、親のすすめでバイクを売ってこれを購入した[2]

峠を攻めるなど、AE86を愛しつつも、三菱・ギャラン VR-4に乗った後はダートで速く走れる四輪駆動車が欲しくなり、三菱・ミラージュサイボーグを購入した[2]。こうしてラリーにのめり込みだし、1993年には全日本ラリー選手権にデビュー。その後2007 - 2008、2010 - 2013、2016 - 2017年の8度に渡って全日本チャンピオンとなる[2]

ターマックでは無類の速さを誇り、ツール・ド・九州12連覇という金字塔を打ち建てている[3]

父からラックの経営も引き継いでおり[4]、R3規定のトヨタ・GT86 CS-R3の販売などを行っている。

2018年公開のラリー映画OVER DRIVEでは、スタントマンとしてヤリスSCRSのドライブを務めた[5]

2020年にはラリー活動の合間を縫って、スーパー耐久に参戦するROOKIE RacingGRヤリスのドライバーも務めた。

1995年から2020年まで25年もの間スバル一筋であったが、2021年からはTOYOTA GAZOO Racingへ移籍し、自らも開発に携わったGRヤリスをドライブする。タイヤは移籍後もダンロップを使用する[6]。勝田の誘いでラリーの世界に足を踏み入れた豊田章男トヨタ自動車社長(現会長)からは「範さん」と呼んで慕われており、7月のラリー・カムイ(北海道)でGRヤリスのJRC初勝利を飾った時は祝辞をもらっている[7]。新マシンということもありデビュー戦はトラブルでリタイア、以降も苦杯を舐め続けていたが、TGRの万全の開発体制により最終4戦で4連勝という追い上げを見せ、逆転で9度目となる全日本王者を獲得した。

2022年の富士24時間レースでは、GRカローラとして化粧直ししてから初となる水素エンジンのカローラスポーツを、元WRCドライバーのヤリ=マティ・ラトバラとシートをシェアしてドライブした。

2023年は全日本ラリー選手権においてGRヤリスのラリー2開発車両を用いて参戦し、同マシンでラリージャパンにも参戦した。

2024年は開発車両からホモロゲーション取得後の車両に変更して全日本ラリー選手権およびラリージャパンに参戦する。

脚注

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  1. ^ Teruo Katsuta”. eWRC-Result.com. 2018年3月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 【第1回:モータースポーツトーク 】 ゲスト:勝田範彦さん”. あいすぽ. 愛知県振興部スポーツ振興課. 2017年10月28日閲覧。
  3. ^ “全日本ラリー:勝田範彦、12年連続でツール・ド・九州を制覇。新井敏弘はトラブル”. https://www.as-web.jp/rally/107916 2017年10月28日閲覧。 
  4. ^ モータースポーツ|中部 愛知 LUCK(ラック)”. JAF. 2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月31日閲覧。
  5. ^ 『Rally plus特別編集「WRC入門講座」』三栄書房、2018年5月8日、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4779636158 
  6. ^ 勝田範彦がトヨタに移籍! TGR、2台のGRヤリスで全日本ラリー最高峰クラスに参戦”. auto sport Web. 2021年1月24日閲覧。
  7. ^ 「GRヤリスを初めて勝たせてくれてありがとう」と豊田章男オーナー。全日本ラリーJN1初優勝後As-web 2021年9月10日閲覧

関連項目

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