勝田高司
勝田 高司(しょうだ・たかし、1916年-2010年11月16日)[1][2]は日本の建築工学者、空気調和衛生工学者[3]。東京大学名誉教授[1]。東京都出身[4]。
経歴
[編集]1940 (昭15) 年東京帝国大学工学建築学科卒業。 1942 (昭17)年、東京帝国大学工学部講師に就任、勝田研発足[5]。 1943年7月に東京帝国大学第二工学部(千葉市弥生町)助教授に就任。
1949年5月東京大学生産技術研究所へ移行[1]。
1950 (昭25)年度 「自然換気に関する実験的研究」にて日本建築学会賞(論文)。 1952 (昭27)年工学博士授与。
1961年4月、教授に就任。
1963 (昭38)年日本建築学会理事 (~64年)。1968 (昭43)年環境工学委員会委員長(~70年)。1974 (昭49) 年空気調和衛生工学会会長。
1978年3月定年退官。日本大学生産工学部教授。1979 (昭54)年、日本建築学会評議員(~83年)。1986 (昭61) 年、日本大学生産工学部定年、講師に。 1988 (昭63)年、(株)鹿島建設顧問(~95年)。
1990年、勲三等旭日中綬章受章。 1992 (平04)年、「建築環境工学,建築設備工学の発展に関する一連の業績」にて日本建築学会賞大賞受賞。この他、空気調和・衛生工学会学会賞 論文賞[6]、安田火災海上本社ビル・損保ジャパン日本興亜本社ビル[7][8][9]でBCS賞受賞[10]。
1996年、日本建築学会名誉会員。
著書に『建築設備』 (森北建築学全書) [11]『建築学大系 29. 工場』[12] 『図学演習』(1952年)など。
家族
[編集]父の勝田主計は大蔵省理財局長から大蔵次官を経て貴族院議員→朝鮮銀行総裁→大蔵大臣→文部大臣→内閣参議を歴任。母イヨは侍医渡辺悌二郎の長女。妻の金子は大平駒槌の二女。 長兄龍夫は元日本不動産銀行会長や日本債券信用銀行会長。弟和男は安田火災美術財団理事など歴任。
脚注
[編集]- ^ a b “勝田高司氏死去/東大名誉教授”. 四国新聞社 (2010年11月19日). 2021年7月31日閲覧。
- ^ 村上, 周三 (2011-04). “名誉会員 勝田高司先生 逝去(会員フォーラム)”. 建築雑誌 (1617): 55 .
- ^ 『建築における環境調整技術の研究: 勝田高司先生退官記念出版』勝田高司先生退官記念会、1978年 。
- ^ 建築における環境調整技術の研究―勝田高司先生退官記念出版 (1978年)
- ^ “沿革 | 大岡研究室・菊本研究室”. venus.iis.u-tokyo.ac.jp. 2019年12月3日閲覧。
- ^ “学会賞 論文賞”. www.shasej.org. 2019年12月3日閲覧。
- ^ “損保ジャパン本社(旧安田火災海上) 東京都新宿区・超高層オフィスビル”. www.eonet.ne.jp. 2019年12月3日閲覧。
- ^ “損保ジャパン日本興亜本社ビル”. 超高層ビル部. 2019年12月3日閲覧。
- ^ “損保ジャパン日本興亜本社ビル|フロアガイド・アクセス・駐車場”. building.tokyo. 2019年12月3日閲覧。
- ^ “BCS賞 | 日本建設業連合会”. www.nikkenren.com. 2019年12月3日閲覧。
- ^ “森北建築学全書 建築設備”. 紀伊國屋書店ウェブストア. 2019年12月3日閲覧。
- ^ “建築・土木図書専門出版の彰国社”. www.shokokusha.co.jp. 2019年12月3日閲覧。