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厳王寺 (田原市)

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厳王寺

地図
所在地 愛知県田原市赤羽根町寺山15番地
位置 北緯34度36分53.46秒 東経137度12分32.976秒 / 北緯34.6148500度 東経137.20916000度 / 34.6148500; 137.20916000座標: 北緯34度36分53.46秒 東経137度12分32.976秒 / 北緯34.6148500度 東経137.20916000度 / 34.6148500; 137.20916000
山号 大覚山
宗旨 曹洞宗
本尊 大覚皇妙荘厳王如来
創建年 明応九年
開基 明応九年
法人番号 1180305003035 ウィキデータを編集
厳王寺 (田原市)の位置(愛知県内)
厳王寺 (田原市)
厳王寺 (田原市)の位置(日本内)
厳王寺 (田原市)
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厳王寺(ごんのうじ)は愛知県田原市赤羽根町にある曹洞宗の寺院。明応九年(1500年)に戸田政光が開基。慶安元年から1925年(大正14年)まで金能寺の名称であった[1]

歴史

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  • 明応9年(1500年)8月1日 戸田左近尉政光(田原城主)によって開基 [2]
  • 寺名は文亀年間(1501年 - 1504年)より慶長6年(1601年)までは厳王寺とする[3]。 
  • 慶安元年より1925年(大正14年)まで金能寺と書き、1925年(大正14年)12月17日から厳王寺の名称に戻る[2]

寺子屋

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田原藩は幕末から明治初年にかけて仮校舎として寺院に郷校を設立した。田原の龍門寺、野田の法華寺、浦の西光院に加え、赤羽根の金能寺(厳王寺)にも寺子屋が開設された。[4]

境内

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本尊

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大覚皇妙荘厳王如来。

木彫金箔像。由来は不明。腹部に胎内仏がある[5]

山門

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屋根の鬼瓦に宝永3年(1706年)の刻印がある。様式は薬医門であり、彫刻類は江戸中期を代表する様式である。潮風で浸食を受けやすい町内で最も古い木造建築の一つに挙げられる[6]。赤羽根町指定有形文化財の第一号として登録され[7][8]、赤羽根町と田原市の合併により田原市指定文化財となる[9]

厳王寺の入口にある山門

種田山頭火の歌碑

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1939年昭和14年)4月より数日間、種田山頭火が敬愛する坪井杜国松尾芭蕉に関係の深い伊良湖岬へ旅立った際、赤羽根で下車して丸三という宿に泊まった。その縁で、厳王寺の境内に、山頭火の「山行水行」の一節「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」が書かれた歌碑が置かれている[10]

厳王寺にある山頭火の歌碑

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 東海日日新聞社 東三河の百ヶ寺 平成4年3月発行 P175
  2. ^ a b 赤羽根の歴史 赤羽根町史編纂委員会 P753
  3. ^ 赤羽根の古文書 赤羽根町史編纂委員会 P820
  4. ^ 『愛知県教育史 第1巻』愛知県教育委員会 1973年 p481
  5. ^ 『東三河の百ヶ寺』東海日日新聞社,1992
  6. ^ 『赤羽根の名所・史跡(赤羽根町文化協会創立十周年記念誌)』赤羽根町文化協会 1995年 p114
  7. ^ 田原市教育委員会 渥美半島の文化財 平成22年2月
  8. ^ 赤羽根町観光協会 遊空間、赤羽根 平成7年5月
  9. ^ 指定文化財一覧”. 田原市ホームページ. 2018年12月9日閲覧。
  10. ^ 『渥美半島と文学』渥美半島郷土研究会編,1997年,p.90

参考文献

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  • 赤羽根町史編纂委員会 編『赤羽根町史』赤羽根町、1968年。全国書誌番号:68014130 
  • 『東三河の百ケ寺』東海日日新聞社、1992年。全国書誌番号:93000233 
  • 渥美半島郷土研究会 編『渥美半島と文学』渥美半島郷土研究会、1997年。全国書誌番号:99036330 

外部リンク

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  • ウィキメディア・コモンズには、厳王寺 (田原市)に関するカテゴリがあります。