吉田重信
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時代 | 江戸時代前期 |
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死没 | 寛文2年5月15日(1662年6月30日) |
別名 | 重春、久馬助 |
戒名 | 一心(法名) |
墓所 | 谷中玉林寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 秀忠、家光、家綱 |
氏族 | 宇多源氏佐々木氏系吉田氏 |
父母 | 吉田重氏、吉田重綱の女 |
兄弟 | 重信、三右衛門、重好、重儀 |
妻 | 某氏 |
子 | 重宗、弥兵衛[注釈 1] |
吉田 重信(よしだ しげのぶ)は、江戸時代前期の武士、弓術家(日置流印西派)。
略歴
[編集]弓術家で日置流印西派を興した吉田重氏(一水軒印西)の子[2]。寛永4年(1628年)12月16日、酒井忠世、酒井忠勝[注釈 2]の推挙により大御所徳川秀忠に拝謁し、召されて旗本に列した[2][注釈 3][注釈 4]。
寛永20年(1643年)4月22日、浅草三十三間堂の落成の際に射初め(いぞめ)するよう命ぜられた[2]。明暦2年(1656年)4月23日、江戸城二の丸において番士らの大的上覧があり、これを差配した[5]。寛文2年(1662年)5月15日、死去[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]出典
[編集]- 日夏繁高、1920、『本朝武芸小伝』、大日本武徳会本部 (原著1716年) doi:10.11501/927114 全国書誌番号:43000365
- 堀田正敦 編「巻第四百三十一 宇多源氏(佐々木庶流) 吉田」『国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重脩諸家譜』 第3輯、國民圖書、1922年12月30日。全国書誌番号:21329093 。
- 神宮司庁 編「武技部二 射術」『国立国会図書館デジタルコレクション 古事類苑』 第25冊、古事類苑刊行会、1930年。全国書誌番号:67012547 。