哲仁王后
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哲仁王后 金氏 철인왕후 김씨 | |
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朝鮮王妃 | |
別称号 |
明純徽聖正元粋寧敬献荘穆哲仁王后(諡号) 哲仁章皇后(追尊) |
出生 |
1837年4月27日(陰暦3月23日) 朝鮮国、漢城府 |
死去 |
1878年6月12日(陰暦5月12日) 李氏朝鮮、漢城府 |
配偶者 | 哲宗 |
氏族 | 安東金氏 |
父親 | 永恩府院君金汶根 |
母親 | 興陽府夫人 |
哲仁王后 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 철인왕후 김씨 |
漢字: | 哲仁王后 金氏 |
発音: | チョリヌァンフ キムシ |
日本語読み: | てつじんおうこう きんし |
哲仁王后 金氏(てつじんおうこう きんし、チョリヌァンフ キムシ、朝: 철인왕후 김씨、1837年4月27日(陰暦3月23日) - 1878年6月12日(陰暦5月12日))は、李氏朝鮮第25代国王哲宗の王妃。本貫は安東金氏。諡号は明純徽聖正元粋寧敬献荘穆哲仁王后。大韓帝国により哲仁章皇后と追尊された。
生涯
[編集]- 1851年、王妃に冊立される。彼女が王妃になった背景には、純元王后(哲宗の養母で、王后の義理の姑に当たる)の存在があった。王后は彼女と同じ、安東金氏の出身であった。一族の繁栄と政治的権力を握るための算段があったからだ。
- 1858年11月22日、王子を出産する。しかし、1859年5月25日に生後約半年で死去。それ以降、子女に恵まれることは無かった。
- 1863年、夫の哲宗が死去。大妃となる。
- 1878年に昌慶宮にて死去。享年42歳(数え年)。
人物
[編集]実家の栄華の為嫁いだが、特別かばうこともせず政治にも関わりを持たなかった。また、言葉数が少なく内面の感情を表に表さない性格だったという。
家族
[編集]- 父:金汶根(領敦寧府事 贈 議政府 領議政 永恩府院君、1801年-1863年)
- 母:延陽府夫人 延安金氏(1799年-1824年)
- 実母:興陽府夫人 驪興閔氏(生年不詳-1872年)
- 義祖父:恩彦君
- 義祖母:常山郡夫人 鎮川宋氏(1753年-1801年)
- 義父:純祖、全渓大院君 李㼅
- 義母:純元王后、龍城府大夫人 龍潭廉氏
- 夫:哲宗
- 息子:李隆俊
登場作品
[編集]テレビドラマ
[編集]先代 孝定王后 |
朝鮮王妃 在位:1851年 - 1863年 |
次代 王妃閔氏 |
先代 孝定王后 |
朝鮮大妃 在位:1863年 - 1878年 |
次代 |