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四条隆愛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四条隆愛
しじょう たかちか
生年月日 1880年6月8日
没年月日 (1938-10-02) 1938年10月2日(58歳没)
称号 帝都復興記念章
従三位
配偶者 四条糸子
子女 長男・四条隆徳
親族 父・四条隆謌(貴族院議員)
義父・徳川慶喜(征夷大将軍・貴族院議員)
義兄・徳川達孝(貴族院議員)
義兄・蜂須賀正韶(貴族院副議長)
義兄・大河内輝耕(貴族院議員)
義弟・徳川圀順(貴族院議長)
義弟・徳川慶久(貴族院議員)

在任期間 1905年6月7日 - 1938年10月2日[1]
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四条 隆愛(しじょう たかちか、明治13年(1880年6月8日[2] - 昭和13年(1938年10月2日[2][3])は、明治後期から昭和前期の華族陸軍軍人陸軍騎兵少佐従二位勲三等侯爵となり、貴族院議員を務めた。元老院議官四条隆謌陸軍中将侯爵の子で、四条隆生の孫。四条家は古くは藤原魚名の三男末茂の子孫、隆季を始祖とし、四条大宮に居を構えた事から四条殿と呼ばれた。家格は羽林家

経歴

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父の死去に伴い1898年(明治31年)12月10日に家督を相続し侯爵を襲爵[2][4]。1905年(明治38年)6月7日、満25歳に達し貴族院侯爵議員に就任した[5][6]

1902年(明治35年)11月22日、陸軍士官学校(14期)を卒業[7][8]。1903年(明治36年)6月26日、陸軍騎兵少尉に任官[3][8]。陸軍騎兵実施学校(陸軍騎兵学校)教官、陸軍大学校馬術教官などを務めた[3]

その他、宮内省御用掛も務めた。大日本皇道立教会会頭。  

親族

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栄典

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脚注

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出典

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  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、45頁。
  2. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成 上巻』711頁。
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』18頁。
  4. ^ 『官報』第4636号、明治31年12月12日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、15頁。
  6. ^ 『官報』第6582号、明治38年6月10日。
  7. ^ 『陸軍士官学校』233頁。
  8. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』183頁。
  9. ^ 『官報』第1799号「叙任及辞令」1918年8月1日。
  10. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  11. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1938年2月11日。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
四条隆謌
侯爵
四条家第2代
1898年 - 1938年
次代
四条隆徳