大原栄一
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大原 栄一(おおはら えいいち、1912年12月2日 - 1998年3月9日)は日本の実業家。富士重工業元社長・元会長。広島県沼隈郡沼隈町田島(現福山市)出身[1][2]。満州安東育ち[1]。
旧制広島高校を経て1936年東京帝国大学経済学部卒業後、日本興業銀行入社。1957年復興金融金庫に出向、1950年興銀復帰後、1962年取締役常務。1963年富士重工業副社長に転じ、1970年同社社長に就任[3]。三菱重工業、いすゞ自動車との提携破棄、日産自動車との提携強化などを進め自動車業界再編の台風の目となった。この間、スバル1000などの名車を世に出した。1978年会長となり、1985年から名誉会長。1998年3月9日死去。85歳没。
脚注
[編集]- ^ a b 山口比呂志、内橋克人、大隈秀夫『財界人国記 中国編・四国編・九州編』サンケイ出版、1988年、61頁。
- ^ 牛越弘・四方田武紀 (1984年10月20日). “広島県(5)郷里離れ郷里に熱い視線(産業人国記)”. 日経産業新聞 (日本経済新聞社): p. 12
- ^ 「日産 その栄光と屈辱」佐藤正明氏講演 2012年10月17日八重洲ブックセンターにて
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