大心昇
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基礎情報 | ||||
四股名 | 長葉山 留男 → 八雲潟 → 長葉山 → 大心 昇 → 長田 | |||
本名 | 長田 留雄 → 長田 留男 | |||
生年月日 | 1937年8月2日 | |||
没年月日 | 2012年3月20日(74歳没) | |||
出身 | 北海道山越郡長万部町 | |||
身長 | 179cm | |||
体重 | 115kg | |||
BMI | 35.89 | |||
所属部屋 | 高嶋部屋→吉葉山相撲道場→宮城野部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り、蹴手繰り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭8枚目 | |||
生涯戦歴 | 343勝321敗11休(74場所) | |||
幕内戦歴 | 49勝69敗2休(8場所) | |||
優勝 |
十両優勝1回 幕下優勝1回 序二段優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1956年9月場所 | |||
入幕 | 1965年7月場所 | |||
引退 | 1969年3月場所 | |||
引退後 | 相撲料理店経営 | |||
備考 | ||||
2013年9月2日現在 |
大心 昇(だいしん のぼる、1937年8月2日 - 2012年3月20日)は、北海道山越郡長万部町出身で宮城野部屋(入門時は高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は長田 留雄(ながた とめお)→長田 留男( - とめお)。最高位は東前頭8枚目(1966年9月場所)。得意手は右四つ、寄り、蹴手繰りなど。現役時代の体格は179cm、115kg。
来歴
[編集]18歳の時上京し、高嶋部屋に入門。1956年9月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の横綱・大鵬(当初、納谷)や小結・沢光(同、沢向)などがいる。翌年1月場所にて、「長葉山」の四股名で序ノ口に付いた。同場所では5勝3敗と勝ち越し、上々の「大相撲デビュー」となったが、2勝目は納谷から挙げている(因みに納谷(大鵬)との対戦は、同場所以降、2度と叶わなかった)。
その後、元横綱・吉葉山が開いた「吉葉山道場」に移った(元吉葉山が年寄・宮城野を襲名した1960年以降は、「宮城野部屋」へと所属が変更している)。
1964年11月場所にて4年半に及ぶ長い幕下生活を経て、27歳で十両へと昇進。そして、1965年7月場所で新入幕を果たした。同場所では、2日間の途中休場がありながら、8勝を挙げて見事勝ち越している(その他、幕内では同年11月場所と翌年7月場所でも勝ち越したが、いずれも成績は8勝7敗である)。幕内在位は8場所に終わり、1967年11月場所以降は関取に復帰する事も叶わなかった。
現役晩年は幕下41枚目まで番付を落とし、1969年3月場所後、31歳で廃業(なお、廃業時の四股名は、本名でもある「長田」であった)。
廃業後は東京都足立区西新井で、相撲料理店「大心」を営んでいた。なお、次男の真一(しんいち、1971年4月19日生まれ)も明治大学卒業間際に角界入り(父と異なり、立浪部屋に入門)したが、こちらは関取になれなかった。
2012年3月20日、心不全のため東京都内の病院で逝去した[1]。74歳没。
主な成績・記録
[編集]- 通算成績:343勝321敗11休 勝率.517
- 幕内成績:49勝69敗2休 勝率.415
- 現役在位:74場所
- 幕内在位:8場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1966年5月場所)
- 幕下優勝:1回(1964年9月場所)
- 序二段優勝:1回(1957年9月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1956年 (昭和31年) |
x | x | x | x | (前相撲) | x |
1957年 (昭和32年) |
西序ノ口22枚目 5–3 |
西序二段98枚目 5–3 |
東序二段63枚目 4–4 |
x | 西序二段46枚目 優勝 8–0 |
東三段目63枚目 5–3 |
1958年 (昭和33年) |
西三段目47枚目 3–5 |
東三段目51枚目 6–2 |
東三段目27枚目 4–4 |
東三段目23枚目 3–5 |
東三段目29枚目 4–4 |
西三段目27枚目 5–3 |
1959年 (昭和34年) |
東三段目18枚目 4–4 |
東三段目13枚目 4–4 |
東三段目13枚目 5–3 |
西三段目6枚目 5–3 |
東幕下79枚目 4–4 |
東幕下73枚目 3–5 |
1960年 (昭和35年) |
東三段目5枚目 3–5 |
東三段目7枚目 6–2 |
西幕下66枚目 4–4 |
西幕下64枚目 5–2 |
東幕下50枚目 2–5 |
西幕下56枚目 3–4 |
1961年 (昭和36年) |
西幕下63枚目 4–3 |
東幕下58枚目 3–4 |
東幕下73枚目 4–3 |
東幕下64枚目 4–3 |
西幕下57枚目 5–2 |
西幕下40枚目 2–5 |
1962年 (昭和37年) |
西幕下51枚目 5–2 |
東幕下42枚目 4–3 |
東幕下38枚目 4–3 |
東幕下32枚目 3–4 |
西幕下33枚目 2–5 |
東幕下43枚目 4–3 |
1963年 (昭和38年) |
西幕下38枚目 4–3 |
東幕下33枚目 4–3 |
東幕下31枚目 4–3 |
東幕下27枚目 6–1 |
東幕下12枚目 3–4 |
東幕下16枚目 3–4 |
1964年 (昭和39年) |
東幕下19枚目 2–5 |
西幕下31枚目 3–4 |
東幕下37枚目 6–1 |
西幕下14枚目 5–2 |
西幕下6枚目 優勝 7–0 |
東十両11枚目 8–7 |
1965年 (昭和40年) |
東十両7枚目 5–10 |
西十両11枚目 9–6 |
西十両4枚目 10–5 |
東前頭15枚目 8–5–2[2] |
東前頭11枚目 7–8 |
西前頭11枚目 8–7 |
1966年 (昭和41年) |
西前頭9枚目 5–10 |
東前頭15枚目 6–9 |
東十両5枚目 優勝 12–3 |
西前頭13枚目 8–7 |
東前頭8枚目 5–10 |
東前頭14枚目 2–13 |
1967年 (昭和42年) |
東十両8枚目 11–4 |
西十両3枚目 7–8 |
西十両9枚目 6–9 |
東十両13枚目 9–6 |
西十両8枚目 2–13 |
東幕下5枚目 2–5 |
1968年 (昭和43年) |
西幕下18枚目 3–4 |
東幕下22枚目 5–2 |
東幕下12枚目 2–5 |
東幕下24枚目 5–2 |
西幕下13枚目 2–5 |
西幕下25枚目 5–2 |
1969年 (昭和44年) |
西幕下14枚目 0–5–2 |
東幕下41枚目 引退 0–0–7 |
x | x | x | |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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青ノ里 | 2 | 2 | 朝岡 | 1 | 0 | 浅瀬川 | 0 | 4 | 天津風 | 1 | 1 |
荒波 | 3 | 2(1) | 追風山 | 1 | 1 | 扇山 | 1 | 1 | 小城ノ花 | 2 | 2 |
海乃山 | 0 | 1 | 開隆山 | 2 | 3 | 金乃花 | 1 | 1 | 北ノ國 | 1 | 2 |
君錦 | 2(1) | 1 | 清國 | 1 | 0 | 麒麟児 | 1 | 2 | 高鐵山 | 2 | 3 |
大豪 | 0 | 3 | 大文字 | 0 | 1 | 大雄 | 2 | 2 | 玉嵐 | 0 | 1 |
鶴ヶ嶺 | 2 | 1 | 天水山 | 1 | 0 | 栃王山 | 0 | 1 | 豊國 | 1 | 2 |
花光 | 3 | 1 | 福の花 | 1 | 3 | 房錦 | 2 | 0 | 藤ノ川 | 0 | 1 |
前田川 | 2 | 0 | 義ノ花 | 2 | 0 | 若杉山 | 3 | 2 | 若秩父 | 1 | 5 |
若天龍 | 0 | 3 | 若浪 | 2 | 2 | 若鳴門 | 1 | 4 | 若乃洲 | 2 | 3 |
若二瀬 | 1 | 2 | 若見山 | 0 | 2 |
改名歴
[編集]- 長葉山 留男(ながばやま とめお)1957年1月場所 - 1959年9月場所・1960年1月場所 - 1964年3月場所
- 八雲潟(やくもがた)1959年11月場所
- 大心 昇(だいしん のぼる)1964年5月場所 - 1968年1月場所
- 長田(ながた)1968年3月場所 - 1969年3月場所
脚註
[編集]- ^ 元幕内大心、長田留男氏が死去 サンケイスポーツ 2012年3月21日閲覧
- ^ 右足第 4指関節脱臼により3日目から途中休場、6日目から再出場
参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第三巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1991年)p31-p35