大野灯台
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大野灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] | 1091 [M7232][1] |
位置 | 北緯36度36分58秒 東経136度36分10秒 / 北緯36.61611度 東経136.60278度座標: 北緯36度36分58秒 東経136度36分10秒 / 北緯36.61611度 東経136.60278度 |
所在地 | 石川県金沢市大野町4丁目甲18 |
塗色・構造 | 白色 塔形 コンクリート造[1] |
レンズ | LB-H120型[1] |
灯質 | 単閃白光 毎10秒に1閃光 |
実効光度 | 140,000[1] cd |
光達距離 | 16.5海里(約 31 km)[1] |
明弧 | 36度から216度まで |
塔高 | 26.40 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 34.34 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 | 1934年(昭和9年)3月1日[1] |
管轄 |
海上保安庁 第九管区海上保安本部 金沢海上保安部 |
大野灯台(おおのとうだい)は石川県金沢市に建つ灯台である。日本の灯台50選の一つに選ばれている。その形状は全国でも珍し四角柱である。
歴史
[編集]- 1878年(明治11年) - 大野町の住人で船主の浅勘七が、私財を投じて灯竿(丸い柱の上で魚油を焚いた)を建て、大野港の目印とする
- 1897年(明治30年)
- 1899年(明治32年)4月19日 - 下金石灯竿を大野灯竿と改称[4]
- 1912年(明治45年)3月31日 - 大野灯竿廃止[5]
- 1922年(大正11年)12月1日 - 上金石灯台を金石灯台と改称[6]
- 1929年(昭和4年)5月15日頃 - 金石灯台の灯高、燭光数、光達距離変更[7]
- 1934年(昭和9年)3月1日 - 大野町が「大野灯竿」を設置し点灯[8]
- 1935年(昭和10年)12月16日 - 石川郡大野町が編入合併により金沢市の一部となる
- 1950年(昭和25年) - 本灯台の管理が海上保安庁に移管される
- 1952年(昭和27年)2月29日 - 金石灯台の灯質、燭光数変更[9]
- 1953年(昭和28年)4月21日 - 大野灯竿が260mほど移転の上、大野灯台となる[10][11]
- 1954年(昭和29年) - 大野港と金石港が併合して金沢港となる
- 1957年(昭和32年)2月1日 - 金石灯台が移転し金石防波堤灯台となる、金石灯台廃止[12]
- 1970年(昭和45年) - 金沢港が関税法上の指定港として開港する
- 1981年(昭和56年) - 光力を高めるなどの機能向上が図られる
- 1998年(平成10年)11月1日 - 第50回灯台記念日の行事として投票が行われ、本灯台が日本の灯台50選に選出される
交通
[編集]周辺情報
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『灯台旅 -悠久と郷想のロマン-』(2023年11月18日、藤井和雄著、成山堂書店発行)75頁。
- ^ “逓信省告示第213号. 官報. 1897年08月13日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月20日閲覧。
- ^ “逓信省告示第253号. 官報. 1897年09月14日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月20日閲覧。
- ^ “逓信省告示第128号. 官報. 1899年04月19日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月20日閲覧。
- ^ “逓信省告示第354号. 官報. 1912年03月30日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月20日閲覧。
- ^ “逓信省告示第2287号. 官報. 1922年12月12日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月20日閲覧。
- ^ “逓信省告示第1457号. 官報. 1929年05月15日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月20日閲覧。
- ^ “逓信省告示第313号. 官報. 1934年02月12日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月20日閲覧。
- ^ “海上保安庁告示(航)第12号. 官報. 1952年03月22日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月21日閲覧。
- ^ 海上保安庁告示(航)第17号. 官報. 1953年05月02日
- ^ 大野灯台. 第九管区海上保安本部
- ^ 海上保安庁告示第7号. 官報. 1957年02月08日