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奈良豆比古神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奈良豆比古神社
所在地 奈良県奈良市奈良阪町2489
位置 北緯34度42分16秒 東経135度50分03秒 / 北緯34.70444度 東経135.83417度 / 34.70444; 135.83417 (奈良豆比古神社)座標: 北緯34度42分16秒 東経135度50分03秒 / 北緯34.70444度 東経135.83417度 / 34.70444; 135.83417 (奈良豆比古神社)
主祭神 平城津比古大神
春日宮天皇
春日王
社格 式内社(小)
村社
創建 宝亀2年(771年
本殿の様式 春日造
別名 春日社
八幡社
例祭 10月9日
地図
奈良豆比古神社の位置(奈良市内)
奈良豆比古神社
奈良豆比古神社
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奈良豆比古神社(ならつひこじんじゃ)は、奈良県奈良市奈良きたまち)にある神社である。かつては奈良坂春日社と称していた。春日社とも八幡社とも称する。[1]式内社「大和国添上郡 奈良豆比古神社」の後裔社である(天理市の楢神社を奈良豆比古神社の後裔社とする説もあるが、あまり有力視されていない)。

祭神

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中殿に平城津比古大神(当地の産土神。奈良豆比古神とも)、左殿に春日宮天皇(施基親王、志貴皇子、田原天皇とも)、右殿に春日王(志貴皇子の子)を祀る。

ただし、『式内社考』では中殿が南良春日宮大神(奈良豆比古神)、左殿が春日若宮(天押雲根命)、右殿が矢幡大神(施基親王)としている。

歴史

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当地は、光仁天皇の父の施基親王(春日宮天皇)が病気療養のために隠居していた奈良山春日離宮の地であり、宝亀2年(771年)、その地に施基親王を祀ったのに始まる。

境内に、かつて「佐保神石」と呼ばれる神石があった[2]

当社の20年毎の御造替は戦中も欠かさず氏子によって行われ、「奈良阪の氏神さん」と呼ばれて敬愛されている[3]

古木

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樟の巨樹

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本殿裏境内地にの巨樹が自生する[3]。 奈良県の天然記念物に指定されている(1951年(昭和26年)11月1日、1977年(同52年)5月20日指定)[3]。 1200年前の、「田原天皇の子、田原太子(春日王)が療養のため、大木茂る平城山の一社(当社)に隠居さる」との伝説を裏付けている[3]

樹齢1000年余、土際の幹囲約12.8m、目通りの幹囲約7.5m、樹高約30m、枝張り約20m[4]。 地上約7mで南北に2分岐し、更に北枝幹は3m、南枝幹は4mのところで更に2分岐する[4]

児の手柏の切り株

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境内に巨大な児の手柏(万葉の樹)の切り株がある[3]。 昭和27年(1952年)枯れたが、小清水卓二によると樹齢1300年にもなろうと評された[3]

祭事

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文化財

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重要文化財

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  • 木造能面癋見(べしみ) 千種(ちぐさ)作 応永二十年二月、千草左衛門大夫作の刻銘がある[5][6]

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 平凡社地方資料センター 編『大和・紀伊寺院神社大事典』平凡社、1997年。ISBN 4-582-13402-5 
  2. ^ 山田熊夫 編『奈良町風土記 正編』豊住書店、1976年、134頁。ISBN 4-88617-005-6 
  3. ^ a b c d e f 当神社現地配布案内パンフレット
  4. ^ a b 当神社現地案内板 奈良県教育委員会
  5. ^ 文化審議会答申 ~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について~”. 文化庁. 2020年3月20日閲覧。
  6. ^ 令和2年9月30日文部科学省告示第118号

関連項目

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外部リンク

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