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奥平昌男

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奥平昌男
奥平昌男像(自性寺蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦13年6月14日1763年7月24日
死没 天明6年3月21日1786年4月19日
改名 牧之丞・九八郎(幼名)、昌男
戒名 春徳院殿何屋道云大居士
墓所 東京都品川区南品川東海寺清光院
官位 従五位下美作守大膳大夫
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
豊前中津藩
氏族 奥平氏
父母 奥平昌鹿:桜川萩野
養母阿部正允の娘・禎祥院
兄弟 昌男池田斉政婚約者、鼎、磐磨、高子
昂次郎、八千代
養子昌高
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奥平 昌男(おくだいら まさお)は、豊前国中津藩の第4代藩主。中津藩奥平家8代。

生涯

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宝暦13年(1763年)6月14日、第3代藩主・奥平昌鹿の長男として生まれる。安永5年(1776年)7月21日に世子に指名され、12月16日に従五位下・美作守に叙位・任官する。安永6年(1777年)4月16日に元服し、安永9年(1780年)の父の死去により家督を継ぎ、9月22日に大膳大夫に遷任された。

若年のためしばらくは家老による専横が行われたが、不正を行った奉行・家老を粛清して天明2年(1782年)から親政を開始した。しかし、天明3年(1783年)の天明の大飢饉で藩内が大被害を受けると、家老らの巻き返しを受けて実権を奪われ、失意のうちに天明6年(1786年)3月21日に江戸で死去した。享年24。

跡を婿養子昌高が継いだ。

系譜

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